海龍王寺(奈良市)

 

拝観者に超優しいお寺

海龍王寺の素晴らしいところは、

こちらの「漫画」です。

「海龍王寺のスゴイところ」

「玄昉さんのスゴイところ」

この二つの漫画のお陰で、

「縁起」の内容が、

あっという間に頭に入りました。

こんなおもてなしをいただけるとは、

海龍王寺さん、

何という優しいお寺なんでしょう!

もう感動しかありませんね。

そして、

この漫画を描かれた人(会社)にも

感謝、感謝です!

こちらが文字の縁起。

内容を抜粋すると

次のようになります。

「和銅十年(710)

平城京に都が遷された時、

藤原不比等がここに邸宅を構えるにあたり

ここには土師氏ゆかりの寺院があったが、

寺院を取り壊さず邸宅の北東隅に残った。

不比等が亡くなり、

邸宅は娘の光明皇后が相続し、

寺院は「皇后宮内寺院」となる。

天平二年(731)玄昉の帰国を控え、

光明皇后は伽藍を整備、

海龍王寺としての歴史が始まる。」

「天平六年(734)玄昉は、

暴風雨に遭遇しながらも

海龍王経を唱え九死に一生を得、帰国。

海龍王寺の住職となった玄昉は、

ここを「平城宮内道場」と定め、

天皇・皇后への祈りを捧げる場とする。」

また、その後の玄昉については、

漫画のみに記述されております。

Wikipediaから抜粋・要約すると

「天平十七年(745)

筑紫(福岡県)、

観世音寺の別当に任ぜられ、

翌年、任地で没した。」

このように書かれています。

文章よりも漫画を読むのが、

断然分かりやすし

老眼にも優しいので(笑)

興味がある方には、

海龍王寺のサイトで、

漫画を読まれる事をオススメします。

参道

お寺横の駐車場に車を停め、

表門から拝観スタート。

十六世紀の建立の表門。

海龍王寺と、本尊である

十一面観音菩薩立像について。

観音像は鎌倉時代のもので、

慶派の仏師により造立されたと

書かれています。

僕がここで一番見たいものが、

一番最初に書かれています(笑)

「国宝 五重小塔 天平時代」

この文字だけで、

テンション上がってきますが、

この存在を妻は全く知りません(笑)

扁額は、「海龍王寺」ではなく、

「海竜王寺」となっています。

次の門へ。

この門を入ってすぐ左側が受付で、

ここで拝観料(入山料)を払います。

伽藍

ここからは伽藍の散策です。

自然石の手水鉢。

龍のお口から流れる清らかな水で、

まずはお手水完了。

手水鉢のすぐ前のお地蔵様にご挨拶。

東金堂跡。

明治の廃仏毀釈で、

このような姿に・・・

現在も残る西金堂と同じく、

こちらにも五重小塔があったとか・・・

左、西金堂、右、本堂。

西金堂・五重小塔

本堂の前に、

一番見たいもの(笑)

西金堂と五十小塔へ。

西金堂。

案内を書き出すと、

「国宝

五重小塔 奈良時代前期

重文

西金堂 奈良時代

天平三年(731)建立。

鎌倉時代と

昭和四十年~四十一年にかけて

解体修理を受けておりますが、

規模や形式には大きな変更はありません。

一部、奈良時代の木材を

残しております。」

このようになります。

五重小塔の案内。

内容を書き出すと

下記のようになります。

「高さ4.01m、奈良時代初期。

創建当時から

西金堂内に安置される小塔で、

奈良時代の建造物としての五重塔は

この一基しか存在しない。

細部にかなり早い時期の

天平建築の技法が見られ、

塔の建築様式の

発展をたどる上でも貴重である。

また屋内に安置する

工芸品としての性格も強く、

外部は組物などの細部に至るまで

精緻に造られている。

また上層に行くに従って塔身が細くなり

上層と下層の均整を重視した

寸法取りがみられる。

皇后宮内寺院という限られた敷地に

「東西両塔」を備えた

伽藍形式を持ち込むべく

五重小塔を造立し、

東金堂(明治時代に喪失)と西金堂に

それぞれ納めたと考えられる。」

この中の「限られた敷地」が

大きなキーワードでしょう!

そして、

実際の五重小塔はこちらです。

よくぞ1300年もの間、

オリジナルを保ってくれたものですね!

縦位置でも撮影。

組物の精巧さがたまらんです!

ここに来てホント良かった~!

本堂

次に本堂へ。

庭から見た本堂。

本堂正面。

本堂斜めから。

この後拝観しましたが、

写真撮影禁止なので、

記憶のみにとどめています・・・

いや、

記憶があまりないか?(汗)

拝観後、本堂とともにツーショット完了。

龍王舎

つぎにその他の建物へ。

龍王舎。

参拝。

「空海龍王」とは、

「空海 龍王」なのか、

「空 海龍王」なのか、

どっちなんでしょう?

解明できていません。

一切経蔵

次は一切経蔵へ。

高床式なのが、

珍しい気がします。

案内を書き出すと

「重文

一切経蔵 鎌倉時代

正応元年(1288)建立

室町時代と寛永七年(1630)に

修理が行われ、

昭和四十年~四十二年にかけて

解体修理が行われました。

経典や文書を納めたことから、

高床式の建物になっています。」

このようになります。

湿気やネズミ対策?は

やはり高床式なんですね!

生木地蔵

最後に参拝したのが、

生木地蔵です。

草木が目に優しい、

生木地蔵のエントランス。

お堂内。

お地蔵様たちに参拝。

これにて海龍王寺の拝観は完了です。

 

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