宇奈多理坐高御魂神社(奈良市)

 

1日と15日

宇奈多理坐高御魂うなたりにいますたかみむすび神社が開くのは、

毎月1日と15日のみです。

僕がこの事を知ったのは、

旅の計画をしたずっと後のことでしたが、

ラッキーにも参拝日は、

7月15日に予定していました。

正直言うと、ここは、

メインの訪問地ではなく(神様、ゴメン!)

開いてるとか、閉まってるとか、

全く気にしていなかったのですが、

偶然は必然、

神様から歓迎していただいた事に、

心から感謝しています。

参道

宇奈多理坐高御魂神社は、

平成時代に復元された、

平城宮東院庭園のすぐ近くなので、

東院庭園の無料駐車場を利用。

(後で東院庭園へ行きます)

一の鳥居。

拝殿が見えてきました。

本殿は室町時代の建立で、

重要文化財に指定されています。

お~!!門扉が開いている!

15日は開くと知っていても、

感動はひとしおです(笑)

神社略記。

一部を抜粋すると

次のようになります。

「御祭神 三座

高御魂尊(中座)

天太玉命(東座)

思兼命(西座)

由緒

延喜式内社の大社で

月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。

古文書では、

宇名足とも菟名足とも書いている。

武内宿命の勧請と伝えられ

「日本書紀」によると

持統天皇六年(692)

十二月二十四日には、

新羅の調を伊勢住吉紀伊

大倭、菟名足の五社に奉るとある。

その一社で、この神社の神戸(かんべ)は

正倉院文書の天平二年(730)

大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、

何れも神名は菟名足となっている。

江戸時代に楊梅ようばい神社と呼ばれたこともあり、

今「うなたり社」とか

「西の宮さん」とか言っているのは、

近郷だけでの通俗の略称である。」

このように書かれています。

神社参拝後に訪問した

平城宮東院庭園の「年表」にも

この神社は出ています。

東院庭園年表。

この下の方に、

「光仁 772(宝亀三年)12月

彗星が現れ、楊梅宮で斎会を行う。

光仁 773(宝亀四年)2月

楊梅宮が完成し、天皇がここにうつる。」

このように書かれ、

さらに三つほど楊梅宮に関わる事が

記されています。

神社の由緒とこの年表を総合すると

昔は、平城京の

重要な神社であった「楊梅宮」が、

いつしか「菟名足」となり、

江戸時代に昔の名前に戻したが、

明治に入り、国家神道との関連で、

「宇奈多理坐高御魂神社」と

なったのではないかと考えています。

(勝手な推測です)

本殿

拝殿をくぐって境内に入ると、

室町時代建立の

本殿が見えています。

あ~ここに入れてホント良かった!

神様ありがとう!

僕はこんな風に、

改めて、感動してしまいますが、

妻はいつものように

至って冷静です(笑)

手水社への参道にも

立派な灯籠が配置されています。

手水鉢。

このデザイン、渋いですね~!

いったい誰が考えたのでしょう?

台座の下部に「楔」の跡があります。

江戸時代以前のものかも知れません。

手水鉢左奥の灯籠。

「櫻梅神社」と刻まれています。

「おうばい」と呼ぶのでしょうが、

楊梅ようばい神社」が「ようばい」となり

漢字も「櫻梅」になった時期が

あったのでしょうか?

謎です(笑)

二の鳥居。

本殿と両脇の境内社群。

本殿向かって左横から撮影。

境内社など

こちらの境内社は

本殿の左右に四社が

集中して鎮座しているので、

参拝は楽ちんです(笑)

左側が、豊岩窓神社、

右側が、大宮媛神社。

ここで、左端に気になるものを発見。

木を祀っているのか・・・・

お酒と、賽銭もありますので、

何か重要な場所なのでしょう。

こちらは本殿右側の境内社。

左が、天細女神社、

右が、猿田彦神社と天手男神社。

この後、右後ろのお地蔵様へ。

石に陽刻されたお地蔵様。

かなり昔のものでしょうが、

割れても崩れても、

綺麗に手入れされ、

とても大切にされています。

最後にツーショットにて参拝は完了です。

 

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