観音寺城(近江八幡市)五輪塔

 

散策図

観音寺城の見どころは、

山の中に点在していて、

迷う事なく巡れるのか?

無事生還できるのか(笑)

ちょっと緊張気味でした。

Googleマップだと「点」だけなので、

道順は全く分かりません。

しかし、そんな観音寺城を

安心して巡れたのは、

観音正寺の受付でいただいた

一枚の散策図です。

親切なお職員のお姉様が、

ラインマーカーも使いながら、

懇切丁寧に巡り方を教えてくださったことも

さらなる安心に繋がっています。

散策中ずっとこの図を握りしめ、

かなりボロボロに・・・

今ではそれが観音寺城、

観音正寺の大切な思い出になっています。

観音正寺から出発

お城散策の起点は観音正寺。

お姉様から「指南」いただいた

杉の木の手前から左に入り、

観音寺城へと向かいます。

散策路へ。

観音正寺の石垣下の石畳の道。

「観音寺城跡本丸まで10分

大石垣まで20分」の立札を発見。

これは、あり難し!

先に進むと

丁度、観音正寺本堂の真裏付近に、

小さな五輪塔が見えてきました。

萬霊供養塔。

これは佐々木六角氏の子孫の方が、

建てたもので、

五輪塔横の碑文を読むと、

これが源頼朝の時代からの

供養をしている事がわかります。

以下、抜粋すると、

「佐々木家累代之霊

寿永三年七月近江、伊賀から

甲賀郡油日谷まで

佐々木源二秀義を守って

戦死した近江武士一同

忠臣一同の供養塔」

このようになります。

家臣を思いやる、

素晴らしい文章ですね!

佐々木源二秀義を

Wikipediaで調べると、

次のように書かれています。

「元暦元年(1184年)7月の

三日平氏の乱において、

五男義清と共に反乱鎮圧に赴き、

平家継・平信兼らの率いる

伊賀・伊勢の平家方残党と

甲賀郡上野村で戦い

90余人を討った後、戦死した。

享年73。

死後、その功により近江権守を贈られる。」

寿永三年と元暦元年は同じ年なので、

この碑文に

書かれていることかと思います。

佐々木六角氏は、

鎌倉幕府が成立する寸前の、

この大功があってこそ

観音寺城を居城とした

近江の支配者となれたのですね・・・。

観音寺城散策のスタートで、

この供養塔をお参りできた事、

佐々木源二秀義と家臣の

お陰かも知れません。

おちゃこ稲荷

五輪塔にお参りしていたら

その背後に稲荷神社を発見。

観音正寺の本堂真裏に

鎮座していますので、

これはその境内社にあたるのでしょう。

なかなか、観音正寺から

抜け出せませんが、

これも有り難いこと、

とにかく参拝するしかありません。

神額は「おちゃこ稲荷」。

12月というのに、

この辺りは紅葉が残っていて、

紅葉狩りを楽しめます。

二の鳥居の神額は、

観音正寺の住職さんの謹書です。

本殿前。

ここで妻が雄叫びを!(笑)

「あれ、六角氏の家紋よ!」

お〜四つ目紋、ありますね!

覆屋の中の渋〜い本殿に参拝。

彫刻も細やか。

小ぶりながら

栩葺(とちぶき)屋根で、

唐破風の向拝だけでなく、

千鳥破風までが奢られた、

素晴らしい本殿ですね!

やはり江戸時代頃のものでしょうか?

いや〜良いもの見せて頂けました!

観音寺城散策をスタートしたものの、

なかなか、

観音正寺から抜け出せない僕たちです(笑)

(続く)

 

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