2024/04/25

雄島(宮城県)御真珠稲荷大明神

 

現場検証(笑)

雄島へ行く途中の案内板には、

次のようなフレーズがあります。

「『おくのほそ道』には、

雄島の印象を

「雄島が磯は地つゞきて海に出たる嶋也」

と書かれているが、

「「地つゞきて」は誤りであろう。」

誤りという言葉に、

めっちゃ反応した僕(笑)

その他ネット記事でも

芭蕉たちは船で雄島に渡っているし、

奥の細道を書いたのは、

雄島訪問のずっと後なので、

芭蕉と曽良の記憶が、

薄れていたんだろうと言う事で、

「芭蕉記憶失くしていた説」で、

確定されているようですが、

実際に行ってみると

そうでもない感じがするのです・・

こちらは海岸と雄島を結ぶ

渡月橋の上から南側を撮影した写真です。

左が雄島、右の砂浜が陸地で、

見るからにもう少しで、

繋がりそうですよね!

これならば、

干潮時には「地つゞきて」となる事、

そして、

船からこの光景を見ていた事も

十分アリエールでしょう(笑)

また、

芭蕉さんが訪問した約300年前は

今より島の侵食も少なく、

もっと海岸に近かった可能性もあります。

さらに、僕たちは、

地元福岡の足利尊氏の戦勝地、

多々良浜古戦場跡で、

急に潮が引き始め、

それまで島だったものが、

あっという間に陸続きになり

徒歩で島に渡った体験をしているので、

尚更そう感じるのかも知れません。

今回の現場検証の結果、

「芭蕉記憶失くしていた説」は、

芭蕉さんの名誉のためにも

「芭蕉記憶大体合ってたかも説」

としたいと思います(笑)

切通し

松島海岸駅から300mほどで、

雄島入口に到着。

ここからは別世界が待ってます

・・多分(笑)

岩壁に彫られたり並べられたりした

宝篋印塔や仏像群。

ただならぬ光景ですね・・・

雄島に渡る前の第一段階として、

狭い切通しがあります。

この先から差してくる朝日、

なんだか雄島で修行した人や

亡くなった方々の

魂の輝きのような気がして、

身が引き締まる思いがします。

雄島の対岸

切通を抜けると、

雄島は目の前に広がっています。

陸地と雄島を結ぶ「渡月橋」、

なんか絵になる景色ですね!

渡月橋をズームで撮影。

北側、五大堂方面を撮影。

背後の岩場には、

無数の宝篋印塔が彫られたり

建てられたりしています。

とにかく一礼して、

雄島へ渡ることに。

此岸しがんから彼岸ひがん

ここで改めて雄島全体を確認。

今僕たちがいるのは絵図の下側です。

これから渡る雄島は、

厳しい修行した僧たちがいた

欲や煩悩を超越した世界、

言わば「彼岸」で、

僕たちがいる陸側は、

欲や煩悩だらけの現実世界、

いわゆる此岸(娑婆しゃば)です。

先に見える渡月橋。

文字通り、

彼岸への橋渡役ですね。

いよいよ煩悩のない世界へ・・

動画でも撮影。

渡月橋の真ん中から先ほどの

宝篋印塔がある陸地を撮影。

そして、この逆側、

進行方向右側には、

冒頭に書いた「現場」が見えます。

この距離だと走り幅跳びの選手なら、

飛び越えられそうですね(笑)

雄島上陸

橋を渡りきって遂に雄島に上陸。

まずはエントランス右側の

古い石仏にご挨拶。

一円玉を供える風習が

あるのでしょうか・・・

理由はよくわかりませんが、

僕たちも先人を見習い、

1円玉を供えて参拝しました。

御嶋真珠稲荷大明神

石仏のすぐ上に鎮座する神社へ。

江戸時代以前の石段でしょうか・・

鳥居。

「新右衛門稲荷縁起」

以下、縁起の要約です。

「天明の頃、雄島の狐が

上方に位を受けに行った帰りに

江戸まで来ると石巻に出る船がいた。

狐は人に変身し新右衛門と名乗り乗船、

無事雄島に到着した。

船員が新右衛門の姿が消えたので、

不思議に思うと狐の声がした。

その後、一緒に出た5隻の船は

暴風雨で沈んでしまったが、

この船だけが助かった。

爾来、新右衛門(狐)は、

海難除けの神として、

崇敬を集めている。」

この神社には、幸運を呼ぶお狐様が、

いらっしゃるようです。

盃状穴はいじょうけつだらけの手水鉢。

江戸時代のものかと思ったら、

大正元年の寄進です。

本殿へ。

覆屋の中に大切に格納さた本殿。

渡月橋からズームで撮影した側面。

雄島=御島が起源というように、

ここでは「御嶋真珠稲荷大明神」と

なっています。

(真珠の真には王編がつきますが

漢字の変換は不可能でした・・・)

また、「真珠」というのは、

縁起にあった新右衛門狐のことかも

知れません。

しんえもん・・しん・・しんじゅ・・・

似てるかな?(笑)

参拝。

素晴らしい柿葺(こけらぶき)の屋根。

ここにも石仏同様、

無数の一円玉が供えられています。

改めて柿葺アップ。

いや〜細やかですね〜!

この本殿はもやは芸術品、

大切にされている方々の思い、

本当に有難い限りです。

(続く)

 

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