観音寺城(近江八幡市)平井氏屋敷跡

 

安土城のお手本?

3年ほど前、

滋賀県立安土城考古博物館で見たのが、

安土城と観音寺城のジオラマです。

こちらは安土城。

城郭の真ん中に大手道がデーンと造られた、

いかにも

「権威」を見せつける為の縄張りです。

次に観音寺城はと言うと・・

なんか、似ていますね!

観音寺城も城域の真ん中に、

一直線に伸びる大手道を配置し、

六角氏の「権威」を見せつける為の

工夫が施されていて、

防御としての仕掛けは、

少ないように見えます。

永禄十一年(1568)、

織田信長が足利義昭を奉じて上洛途中、

六角氏は観音寺城を放棄していますので、

信長は無傷で残った縄張りを見て、

(配下の武将が調査したかも?)

後年の安土城築城の構想に

組み入れたと想像するのは、

あながち間違いではないでしょうが、

信長が岐阜城に入る前の小牧山城にも

お城の真ん中を貫く大手道はありますので、

たまたまシンクロしたのかも知れません。

ただし、そう考えたとしても

六角氏の観音寺城は、

他所に先駆け石垣を多用するなどの

先進性と共に、

安土城、ひいては近世城郭への

重要な岐路となったことは、

城郭史上の偉業とも言えるでしょう。

散策路

スタート地点の観音正寺を出てすぐ、

佐々木六角氏繁栄のルーツを知る

「五輪塔」(供養塔)に参拝し、

六角氏への敬意も高まった所で、

本格的な散策の開始です。

まずは赤丸の平井氏屋敷跡へ。

山道は整備され、超快適。

起点の観音正寺から

180mほどの地点。

屋敷跡(平井・落合・池田)の案内。

右の石段を登れば本丸ですが、

ここではまず左側、

大石垣方面へと向かいます。

風情ある紅葉の落ち葉。

大石垣まで7分。

とにかく観音寺城には、

表示が多くあり、

散策者には心強い限りです。

途中に見つけた石垣。

この上も曲輪の一つだったのでしょう。

平井氏屋敷跡

起伏もそんなになく、

呆気なく(笑)第一目標、

平井氏屋敷跡に到着。

お〜石垣だ〜!

端っこから撮影。

信長の時代よりもはるか以前、

こんな大きな石で、

石垣を造ったなんて、

やはり佐々木六角氏、

ただものではありません!

ここで妻が一言、

「あ、裏込石が見える!」

お〜確かに見えていますね!

それにしても裏込石に注目するとは、

妻には、ビックリですよ(笑)

平井氏屋敷跡正面。

鏡石というのか、

巨石を惜しげもなく使っています。

こんな高い所まで石を運んだ人、

大変ご苦労様でした!(笑)

向かって左側の石垣。

巨石の大きさを表すため妻登場。

向かって右側の石垣。

石段の両脇には石仏が安置され、

なんとなく石垣の一部として、

石仏が使用されているように見えますが、

これはちゃんとした(笑)石仏です。

屋敷跡の中へ。

「伝平井氏屋敷跡」の標柱。

屋敷から出入口方面を撮影。

こちらは平井氏屋敷のお隣、

落合氏屋敷跡の入口石垣。

屋敷内から石垣を確認。

最後に、

池田氏屋敷跡〜平井氏屋敷跡を

動画で撮影。

(続く)

 

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