観音寺城(近江八幡市)日吉神社

 

表題

観音寺城の麓付近にある日吉神社。

山上の観音正寺が天台宗なので、

ここも比叡山・延暦寺の麓に鎮座する

日吉大社と同じく、

神仏習合時代には、

観音正寺の鎮護社だったと推測できます。

だとすれば、表題は

「観音正寺(近江八幡市)日吉神社」

これが正解だったかも?

まあ、

「流れ」としては観音寺城ですから

これで良しとしましょうか(笑)

参道

まずは社頭へ。

左側の道路が観音正寺への参道で、

少し行くと1200段と言う

石段へと繋がります。

鳥居の神額。

妻曰く「なんかいい感じ」・・

確かに!

手水舎。

柱には手拭いが吊るしてあり、

コロナ禍前に戻った感が満載で、

実に良い光景です。

何気ない日常が、

ここにはありますよ!

手水舎前の自然石を使った

渋〜い燈籠。

石段で上の境内へ。

拝殿・・いや舞殿?

御社殿

次に本殿前へと進みます。

本殿の玉垣前に建つ

「日吉神社」の御由緒碑。

以下、ご由緒の要約です。

「御祭神 大山咋之命おおやまくいのみこと

坂本日吉山王(日吉大社)の御分霊を祀る。

天暦年間(947年)佐々木氏が

繖山上に城館を築いた時から応仁文明以降、

兵火の為、史料は焼失してしまい、

慶長十年(1605)社殿造営の棟札が

最古のものである。

文久二年桧皮葺きとする。

明治三十六年暴雨により社殿は転覆するも

氏子たちにより翌年再建。

鳥居は享保三年造立、

石燈籠は安永四年、

天明七年、文政四年の銘刻あり。」

ということは、

社頭の大鳥居は、

享保三年(1718)、

300年以上も前、

徳川吉宗さんの時代に

建立されたものだったのですね!

唐門と玉垣内の本殿。

檜皮葺屋根の唐門、

メンテナンスもバッチリで、

これはホント素晴らしい!

正面から

参拝。

日吉神社の神使、三ザル。

境内社(多分)を参拝。

唐門前にてツーショット完了。

駐車場へ

参拝が終わり、

ここからが難関。

石段を800段登らないと

駐車場へは着きません(笑)

御社殿横から、

観音正寺参道へ。

改めて地図で位置関係を確認。

赤丸が伝御屋形跡

水色が今いる日吉神社、

黄色が石段、白丸が駐車場で、

観音正寺参拝・観音寺城散策で、

僕たちが歩いた石段の段数を合計すると、

全部で約2,400段!

しかも登って下って終わりではなく、

まず400段登り、

次に1200段下り、

最後に800段を登ると言う

再挑戦なんか絶対したくない(笑)

過酷な道のりです。

神社横からのスロープが終わり、

800段の石段登りがスタート。

何となく、

熊野古道っぽい石段ですが、

熊野古道は真夏に行ったので、

それに比べれば、

恵まれているはず・・・

でも、

そんな思いは全く浮かびません(笑)

まだまだ・・・

途中の休息小屋。

使っていませんが(笑)

石造の水門(排水路)と石仏。

そして、

3分ほど登ると、

こんな標柱が建っています。

江戸時代のものでしょうか?

注目は、

「八丁」の上に彫られている

梵字の「キリーク」です。

ということは、

「西八丁」と言う意味でしょう。

今回の旅、延暦寺の文殊楼

観音正寺の本堂に続き、

三度も「キリーク」とのご縁があるとは、

不思議を通り越して、

ただ、嬉しいのみですよ(笑)

なかなか終わらない石段(汗)

お〜!暗闇の先に、

光明が見えてキター!

駐車場に到着!!

ここで懐かしの(笑)相棒とご対面。

朝8時半から13時半過ぎまで約5時間、

充実しまくった

観音正寺・観音寺城散策はこれにて完了。

次なる目的地、

大津市の義仲寺ぎちゅうじへと向かいます。

 

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