加世田護国神社(鹿児島県南さつま市)

 

四十年の歳月

鹿児島県神社庁のサイトによると

加世田護国神社は、

「明治三年創建。

当初私祭招魂社として

戊辰の役戦死者を祭祀し、

明治十六年十月三十日

官祭招魂社となった。

大正二年三月西南の役戦死者、

日清の役戦死者を合祀。

明治三十九年七月

日露の役戦病死を合祀した。

昭和十四年三月十五日

内務省令第十二号を以て、

加世田護国神社と改称。

(中略)

昭和二十八年九月二十三日

西南の役(薩軍)戦死者を合祀。

(後略)」

このように書かれています。

西南の役で明治政府軍側として戦った

加世田の人々が合祀されてから

約40年後にようやく

薩摩側として戦った人も

祀られていますが、

戊辰戦争以来の戦没者を祀る

護国神社の親分的な存在である

東京の靖国神社では、

現在でも西郷隆盛や、

その他、佐賀の乱の江藤新平、

会津藩の白虎隊なども同じく、

賊軍扱いで、

祀られていないようです。

戦いに敗れたから犯罪者というのは、

何とも解せません・・・

同じ日本人として、

国を思う魂を区別する必要が

あるのでしょうか。

やはり

勝てば官軍なんでしょう・・・。

加世田護国神社へ

加世田護国神社は、

竹田神社の境内に鎮座しています。

護国神社専用参道入口。

一の鳥居

護国神社の神紋でもある

桜が咲き始めています。

御社殿へ。

参道右側の灯籠。

こちらは左側。

石段を登ると左右に手水鉢が。

右側の手水鉢。

左側の手水鉢。

何故かこちら側だけに

石が入っていて、

水滴の波紋も美しく、

それに釣られて?

僕たちはこの手水鉢を

使うことにしました。

竹田神社でもそうでしたが、

何故左右に手水鉢が、

配置されているのか、

気になって仕方がありません(笑)

右側の手水鉢の向こう側には、

天皇陛下が行幸された時の

記念に建てられた灯籠、

そして、その先には、

楠の巨樹が見えています。

拝殿。

参拝。

神額の文字は空色。

石造りの本殿へ。

本殿斜めから。

招魂社時代からの石碑群。

招魂塚というのが、

元の本殿みたいなものでしょう。

参拝の最後に、

本殿から拝殿側を振り返って撮影。

 

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