香椎宮・初詣(令和6年正月)後編

 

超新鮮

子供の頃、

香椎に住んでいたので、

香椎宮へは何十回も

行っていますが、

香椎宮は、

「ザリガニ釣りをする場所」

くらいの認識でした(笑)

なので、

意外と知らない事ばかりで、

今の香椎宮は、超新鮮です(笑)

古宮

遠方の旅と違って、

地元の神社だし、

時間に制約されることは無いので、

久しぶりに古宮へ行くことにしました。

妻は初めて行くと言っていたのですが、

過去に行った時は、一人だったのか、

それとも別の人(女性?笑)とだったのか、

記憶は定かではありません。

「不老水案内地図」

今回は不老水まで行く気力は

ありませんが、

この地図に古宮が載っていますので、

写真を撮ってみました。

裏参道の鳥居をくぐり

道路を渡ると古宮境内入口です。

古宮へ。

古宮の表示ですが、

不老水への案内も完璧です!

椎木の御神木が見えてきました。

案内板。

長い解説なので、

それぞれ超訳していきます。

「沙庭齋場」

仲哀天皇が神託を受けるための聖地。

「棺掛椎」

神功皇后が仲哀天皇の死を隠し、

天皇の御棺を立て掛けた椎木で、

ここで御前会議を開かれた。

この御棺より良い香りが漂ったことにより

「香椎」の名が起きたとの伝説もある。

「摂社 古宮大明神址」

仲哀天皇を最初に祭った場所(古宮)。

その後、新宮(現在の香椎宮)に

祭られることとなる。

参拝。

「神木香椎」

幹の太さからして、

1800年前の木ではなく、

これは御子孫の椎木かな?

椎木の神木と言えば、

最近行った新潟県・彌彦神社

良寛さんが歌に詠んだ

椎木を思い出しますが、

妻はもう忘れているかも?(笑)

真横から撮影。

ここで神功皇后、武内宿禰などが

集まって、

御前会議が開かれたんですね・・・

仲哀天皇訶志比宮址かしひのみやあと

椎木からさらに奥へ。

整備された参道。

到着。

案内を超訳します。

「仲哀天皇訶志比宮址かしひのみやあと

古事記にも記される宮址にして、

仲哀天皇八年正月二十一日(西暦199年)

定都(ここに定められた)。

「仲哀天皇崩御の地」

仲哀天皇九年二月六日(西暦200年)

この宮にて崩御した。

「仲哀天皇の大偉業」

偉業の一端が神功皇后の三韓征伐である。

此の宮が策源地であったために

大本営址として記念碑が建っている。

「香椎廟址」

仲哀天皇崩御されるや

直ちに天皇の神霊を訶志比宮に

神功皇后鎮祭。

朝廷廟として、特別の尊崇を捧げられる。

養老七年二月六日(西暦723)

神功皇后の神託により

香椎廟に皇后を併祀する為

朝廷は新宮(現在の香椎宮)を創建し

神亀元年十二月(西暦724年)遷宮す。

これにより古宮の名が起る。

「仲哀天皇大本營御舊蹟ごきゅうせき

お酒も置いてあり

大切にされているので、

ここで参拝。

左から。

なんだか神々しい木漏れ日だ〜

右から。

そして、奥に見える松の木へ。

標柱の前面と側面には、

「明治三十三年十月

皇太子殿下御手植松」

このように記されています。

皇太子時代の大正天皇が、

植えられたものですね。

その後、

先ほどの仲哀天皇大本營御舊蹟の

裏側を見ると

大正十二年に建立されていますので、

大正天皇が、

ここに訪問されたことを思い、

この石碑が建てられたのかも

知れません。

帰路。

武内神社(境内社)

再び香椎宮境内へ。

裏参道入口に建つ鳥居は、

福岡藩6代藩主黒田継高の寄進で、

宝暦二年(1752)の建立です。

ちなみに黒田孝高(官兵衛)、

長政の血統はこの継高までで絶え、

その後の黒田家は、幕府などから

養子を送り込まれる形となり、

多くの外様大名同様、

「血統支配」をされて行きます。

(それがお家の安泰でもあるのですが)

再び本殿へ。

人がいない瞬間を

妻が指南してくれたので、

ここで、もう一枚。

門をくぐり本殿裏を通って反対側へ。

奏楽殿。

この日は柳生新影流の

演武が行われていました。

門から外へ。

武内神社は、

本殿を挟んで反対側の巻尾神社

対称的な位置に鎮座しています

参拝。

御祭神、武内宿禰命は、

仲哀天皇・神功皇后に仕えた

五大臣の筆頭で、

300年近く生きたとされる

長寿の神様でもあります。

鶏石神社・稲荷神社

次に綾杉の近くに鎮座する二社へ。

鶏石(けいせ木)神社(右)

稲荷神社(左)。

まずは、鶏石神社から。

鶏石神社の狛鶏。

参拝。

香椎宮・鶏石神社のサイトによると

「鶏石神社は、鶏がたまごを産み

そのたまごが孵化するように、

形のないところから

物事が成就する修理固成

(しゅりこせい)の

御神徳があるとされます。」

このように書かれています。

稲荷神社に参拝。

軍艦香椎顕彰之碑

最後に慰霊の場所へ。

いくつかの塚などがあり、

その真ん中あたりに建つのが、

軍艦香椎顕彰之碑です。

日本の巡洋艦は基本「川の名前」が

艦名となっていて、

「香椎川」の名を冠す巡洋艦「香椎」は、

昭和二十年一月ベトナム沖で

撃沈され、便乗者を含め1千名以上が亡くなり、

生存はわずか17名だったと

案内には書かれています。

慰霊碑ではなく顕彰碑とされたことに

軽々しく慰霊などとは

言えない崇高な思いが

伝わってきます・・・

武内宿禰像

慰霊の後、

すぐ横の武内宿禰像へ。

でっかい台座にちっちゃい銅像(笑)

ズームして撮影。

仲哀天皇と神功皇后の御子、

応神天皇を抱く武内宿禰。

香椎神宮駅から

新年から、

温故知新的な参拝を楽しみ、

香椎神宮駅へ。

「でんちゃ」の入線。

香椎からは鹿児島本線で帰路へ。

本日の昼食

買い物して帰ろうと思ったものの

お腹はペコペコ・・・

家に帰って餅入りのぜんざいを

食べる予定だったので、

少ないけど、これで二人分です(笑)

 

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