氣比神宮(敦賀市)角鹿神社

 

アイスの思い出

前回の「巫女さんの思い出」に続き、

今回は、

「アイスの思い出」です(笑)

本殿参拝後、お腹は空くし、

暑いしで、

気力を失いかけていた僕たち・・

そこに救世主的に登場したのが、

このアイスです。

氣比神宮境内の休憩所に

アイスの自動販売機を置くなんて

めっちゃ粋な計らいですよね!

これって氣比大神の御差配かな?(笑)

絵馬殿・亀の池

本殿周囲の参拝後は境内の東側へ。

位置的に言えば、

この境内案内図の真ん中から右側になります。

絵馬殿&亀の池。

噴水の前でしばし、まったり・・

アイスと共に、

気力回復の起爆剤です(笑)

角鹿つぬが神社

境内東端には境内社が、

三社並んでいます。

まずは右端の角鹿神社へ。

「式内攝社」という表記、

ちょっとレアですね。

元は延喜式内社として

独立していたものでしょうか・・

また、鳥居には、

右の柱に元禄十六年(1705)建立、

左の柱に文政六年(1823)再建と

刻まれています。

建立と再建と併記する例は、

上野東照宮でも見ましたが、

暗に先代鳥居への

敬意を感じられていいと思います。

角鹿神社。

以下案内です。

「摂社(式内社)。

祭神は都怒我阿羅斯等命つぬがあらしとのみこと

崇神天皇の御代、任那の皇子の

都怒我阿羅斯等命が

氣比の浦に上陸し貢物を奉る。

天皇は氣比大神宮の司祭と

当国の政治を任せられる。

その政所の跡にこの命を祀った。

その命の居館の跡が舞崎区であり

同区の氏神が当神社である。

現在の敦賀のもとの名は「角鹿」で

この御名に因る。

往古は東門口が表参道であったため

氣比神宮本社の神門であった。」

敦賀の地名発祥という観点からも

この神社の重要性は理解できます。

拝殿よりも左側の巨木に目が・・(笑)

これは凄い!

主幹は折れていますが、

枯れたようでも新芽は出てるし、

スダジイの生命力に感動してしまいます。

幹の太さを実感するため妻登場。

巨木に存在が霞みながらも(笑)

参拝完了です。

兒宮

次に兒宮(このみや)へ。

以下、案内です。

「末社。祭神は伊弉冊尊。

元は氣比神宮寺の境内に鎮座。

平安時代、寛和二年(986)

九月二十日遷宮の事が残されており

由緒は古く、

子宝及び安産の神と称され、

小児の守神として今日に至る。」

上皇陛下即位を記念した鳥居。

覆屋付本殿へ。

気になるのは大小の狛犬です(笑)

参拝。

右側の大きい狛犬には、

「享保十一年(1726)、

加賀屋正利造立」

このように刻まれていて、

全体的に青っぽいので、

笏谷石製でしょう。

小さい方の吽形。

お顔の表情が独創的で、

これを造った石工さんのセンス、

素晴らしいと思います。

こちらも笏谷石製でしょうが、

建立年代は不明です。

大神下前神社おおみわしもさきじんじゃ

最後に三社中、一番左側へ。

大神下前神社。

案内を書き出すと以下になります。

「末社(式内社)。

御祭神は大己貴命。

敦賀市内氣比大神四守護神の一社で

元は北東の天筒山麓に

境外末社として鎮座されていたのを

明治四十四年現在の地に遷座。

稲荷神社、金刀比羅神社を合祀した。」

笏谷石狛犬だらけ(笑)

拝殿。

大己貴命=大国主命=ダイコクさんに参拝。

そう言えば、合祀されている

金毘羅さんも祭神は大物主神なので、

ダイコクさんですね!

氣比宮古殿地

駐車場に戻ると妻が雄叫びを!

「あれ、福岡ナンバーよ!」

お〜確かに!!

福井県敦賀市で

福井ナンバーならぬ

福岡ナンバーの車を見るなんて、

かなり珍しい事でしょう!

そして、

この車の後方に見えるのが、

氣比宮古殿地遥拝所です。

駐車場の一角には、

燈籠、鳥居、狛犬。賽銭箱の

神社セット(笑)が設られています。

案内を書き出すと以下になります。

「氣比宮古殿地の事

氣比神宮境内東北部に位置し

当神宮鎮座にかかる聖地として古来より

「触るべからず 畏み 尊ぶべし」と

社家文書に云い 伝えられているが

嘗て天筒山の嶺に霊跡を垂れ更に

神龍磐境の形態を留める現「土公」は

氣比之大神降臨の地であり

傳教大師・弘法大師がここに祭壇を儲け

七日七夜の大業を修した所とも伝えられる。

土公は陰陽道の土公神の異称で

春は竈に夏は門に

秋は井戸に冬は庭にありとされ

其の期間は其所の普請等を

忌む習慣があったが

此の土砂を其の地に撒けば

悪しき神の祟りなしと深く信仰されていた。

戦後学校用地として

譲渡の已な無きに至ったが

土公と参道はかろうじて

そのままの形で残された

大宝二年(702)造営以前の

氣比宮は此の聖域を通して

氣比之大神の宏大無辺の

御神徳を戴くことが出来るよう

此のたび篤信者の奉賛により

遥拝設備が立派に完成されるに

至った次第である。」

戦前は国家神道として、

神社は手厚く保護されていましたが、

終戦直後は米軍の占領政策で、

180度環境は変わり、

苦難の道を歩んだ神社も

少なくはありません・・

氣比神宮さんも、

色々なものを乗り越えて、

今、ここにあるのでしょう。

今は学校の一部ですが、

ちゃんと保護されていますね・・

遥拝。

これにて氣比神宮参拝は完了し、

次なる目的地、

金ヶ崎城跡へと向かいます。

 

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