小牧山城(愛知県小牧市)前編
信長の遺産を家康が活用
永禄3年(1560年)
桶狭間の戦いに勝利した織田信長が、
永禄六年(1563年)
美濃攻略の拠点として築城したのが、
小牧山城です。
このお城は、わずか4年で廃城となり、
信長は岐阜城に本拠地を移しています。
廃城となっていた小牧山城ですが、
天正十二年(1584年)に起きた
小牧・長久手の戦いで、
徳川家康がこの城に強固な陣地を築き、
秀吉は攻める取る事も出来ず、
焦った結果(多分)長久手では、
大敗北を喫し、最終的には、
家康の天下統一へと繋がっています。
主家を乗っ取り、信長の子を殺し、
天下を狙った秀吉に怒ったあの世の信長が、
清洲同盟から本能寺の変まで10年、
信長の手下の如く粉骨砕身戦ってきた
家康へ与えたご褒美だったのかも知れません。
小牧山城へ
長久手市から小牧市へ向かう途中、
またもや大雨が・・・。
しかし、小牧山城に着くと、
小雨時々曇りと
目まぐるしい天気です(笑)
小牧山城跡の案内図。
大手口から攻めるつもりが、
成り行きで、搦手口からになったのは、
正面切って戦うのが怖かったから・・
ではなく、ナビが案内してくれた
駐車場がここだったから(笑)
土塁を切って、
断面が見えるようにしてあります。
反対側の断面にはその案内が。
時代の違う土が盛られているのが、
一目瞭然で、
こんな土塁は初めてです。
なかなか詳しく説明されています。
土塁断面の解説など。
この土塁は家康が小牧城を
砦とした時に盛られたもので、
織田信長時代には無かったものと
書かれています。
土塁の内側。
帯曲輪の案内。
信長時代は武家屋敷があったところで、
小牧・長久手の戦いの時、
家康が作ったのが帯曲輪と呼ばれる
多数の軍勢を収容できる
機能を有したものです。
ここでも信長の遺構が
家康の役に立っていますね(笑)
井戸跡。
武家屋敷と井戸の解説。
さらに進むと妻が一言。
「あれ、桜じゃない?」
11月後半というのに、
何と桜が満開ではありませんか!
桜満開のポーズ(笑)
何だかテンション上がって来ましたね。
帯曲輪発掘調査の解説。
信長時代と家康時代、
2つの遺構があるのがよく分かります。
ここに信長の居館があったそうです。
広いな~。
れきしるこまき
小牧山城で一番見たかったのが、
この「れきしるこまき」と名づけられた、
小牧山城史跡博物館です。
昨年(2019年)に開館したばかりの
真新しい施設で、
ネットの評判もかなり良さげなので、
ついつい期待してしまいます(笑)
正面。
入館料は100円。
さらにJAF割引で60円!
まるで、半世紀前の物価です(笑)
これは、山頂の小牧山歴史館という、
模擬天守入城も
含んでの価格ですから
なんとも有り難い限りです。
館内は撮影禁止ですが、
いただいたパンフレットで、
大まかなところは分かります。
60円では申し訳ないくらい、
充実しまくりの内容で、
特に、右下の「技を知る」は、
プロジェクションマッピングを駆使し、
素晴らしい出来栄えです。
エントランスと企画展示室は撮影OK。
小牧山ヒストリーギャラリー。
続き。
企画展示室。
小牧城下の模型。
小牧山城模型築城中!
お城の一番頂上の部分を
模型化していて、
それがこちらです。
発掘調査が進めば、
模型も少しづく完成に近づくというもの。
搦手方面から。
お城の基礎知識。
なかなか詳しいですね。
虎口の種類までも解説があります。
そして、僕が一番興味をそそられたのが、
こちらの二枚です。
永禄期、信長時代の小牧山城。
天正期、家康時代の小牧山城。
武家屋敷がそっくり帯曲輪になっているのが、
よ~くわかりますね!
れきしるこまき、お城好きには、
超お勧めです(笑)
(後編へ続く)