2022/03/14

龍造寺八幡宮(佐賀県佐賀市)

 

思わぬ出会い

昨日紹介しました

カフェ・ド・パリでのランチ後、

佐賀駅からバスで次の目的地である

与賀神社を目指す予定でしたが、

バスの時刻を調べるのがめんどくさいのと、

地図で見ると歩いて行ける距離だったので、

バスには乗らず、徒歩での移動にしました。

そして、この時歩いたことが、

思わぬ素敵な出会いを生んだのです!

龍造寺八幡宮との遭遇

佐賀の町を楽しみながら歩いていたら

何だかいい雰囲気の神社を発見!

それが龍造寺八幡宮でした。

龍造寺と聞くと、

戦国時代、佐賀を中心として

一大勢力を築いた龍造寺隆信を連想します。

と、言っても、龍造寺隆信を知ったのは、

お城巡りをはじめてからの最近の事で、

この旅の時には、

何となく戦国武将っぽい名前の神社だな

位にしか思ってなかったはずです(笑)

その龍造寺家と、後を引き継いだ鍋島家から

篤く崇敬を受けたのが、

ここ、龍造寺八幡宮です。

何故が「佐賀八幡宮」と書いてあります。

何でだろう?(笑)

左には「楠神社」の名前もあって、

ここには二つのご本殿があることが

わかりますね。

そして境内の入口には肥前鳥居が!

あ〜やっぱり佐賀は良いな〜♪

この旅最初に参拝した櫛田宮といい

ここといい、肥前鳥居の初期型と

いとも簡単に出会いまくれるのですから!

神額の写真を撮っていたら、

妻が「あっ!ハエちゃんだ!」

と叫んだので、よく見ると…

確かにいますね!

神額の左横に。

妻曰く、おばあちゃんが

ハエちゃんになって

来てくれたそうです。

それにしても良く見つけるな〜っと感心。

この鳥居は1604年の寄進というから

今から400以上も前の建立ですね。

佐賀の独自文化、

肥前鳥居と肥前狛犬に代表される

佐賀(肥前)の独創性とセンスの良さって、

いったいどこから来るのでしょうね!

神社の御由緒によると

源頼朝から佐賀の地頭に任ぜられた

龍造寺家の始祖が鎌倉の

鶴岡八幡宮のご分霊を勧請し

ここに龍造寺八幡宮を建立したそうです。

中央から地方の守護地頭に任ぜられて、

そこで、神社を作るってパターンは

薩摩の島津氏豊前の宇都宮氏なども

同じですね!

境内入って右側には

樹齢400年の楠がそびえています。

巨木の下っ端(笑)くらいの

大きさでしょうか。

九州には樹齢400年クラスは

ゴロゴロしているので、

特段目立たないのが可哀想ですね!

黄色い長靴をはいたような赤い鳥居。

石の太鼓橋は

江戸時代くらいのものでしょうか?

それでもこの太鼓橋は現役で、

渡っても大丈夫なのです。

以前はここに川か、

池があったのかも知れません。

 

手水舎。

手水鉢には菊水の紋があります。

これは楠木正成の家紋ですね!

そして、この菊水の紋は

大分県日出町の

大神訓練基地で見た回天にも

あしらわれていました。

水五訓なるものが書いてあります。

年末でしたが、新年の挨拶は

宮司さんの達筆で

いっそう引き立っていますね!

参拝。

こちらは本殿。

達筆な宮司さんが不在だったので、

御朱印は書き置きのものを

授与してもらいました。

いや〜素晴らしい書です!

そして、境内社へ。

子育て恵比須。

おもちゃが置いてありました(笑)

ここ佐賀市の路地や建物には

いたる所にエビス様がいます。

しかも八十八ヶ所もあるとは

ビックリですね!

次は、もう一つの本社、楠神社に参拝です。

龍造寺八幡宮の左隣に

仲良く並ぶご社殿。

楠木正成とその子楠木正行を祭っています。

拝殿には、楠木正成の一生を

分かり易く解説してあり、

これを読んだだけでも楠木正成が

良くわかります。

社殿横には「義祭同盟之碑」があります。

義齋同盟とは「佐賀の吉田松陰」

とも言える人物、

枝吉神陽(えだよししんよう)を中心に

作られた結社で、

楠木正成の忠義を讃える祭祀を行なう崇敬団体

(以上、Wikipediaによる)

この団体には幕末維新に関わった蒼々たるメンバーがいて、

佐賀の七賢人、または枝吉神陽を加え

佐賀の八賢人と呼ばれています。

その賢人達の顔出しパネルがあったので、

僕も顔出ししてみました(笑)

はっきり言ってこの時は、

楠公義祭同盟にも、

佐賀の賢人たちにも、

な〜んにも(笑)

興味は無かったので、

ただ、「顔出しパネルやりた〜い!」

という思いだけで撮った写真でした(笑)

ところが、

今、この顔出しパネルを見て

驚くことを発見!

僕が顔を出している右隣は江藤新平、

左隣は、島義勇(よしたか)、

そのまた左隣は、副島種臣です。

この日から約1年後、佐賀城を旅した時、

その本丸歴史館で寸劇を見たのですが、

何と、この同じ3人が出演していたのです。

その時の写真がこちら。

注意:役者さんのブログ掲載許可は

取っていますので、まずはご安心を(笑)

左から、江藤新平、島義勇、副島種臣

を演じた役者さんです。

毎週末に上演されている寸劇で、

佐賀の八賢人のうち三人が

週代わりで出演するのですが、

この日はたま〜たまこの三人だったのです!

寸劇に感動した僕たちは今まで知らなかった

幕末の賢人たちにも興味がわき、

それ以上に演劇の素晴らしさに

気づいた日なのでした。

いや〜何と言うご縁!!

こちらの御朱印もいただきました。

ツーショットも完了。

達筆な宮司さん、顔出しパネル、

樹齢400年の楠と

色々と楽しませてもらえたのは

歩いたからこそ。

歩くって本当にいいですね!

今日の癒し

その1

似顔絵付宮司さんの紹介パネル。

素晴らしいですね!

このパネルこの界隈の色んなお店の前にあって、

それぞれの店主さんの人柄を似顔絵とともに

描いてあるのです!

佐賀人の温かさがめっちゃ伝わって

本当に癒されました。

その2

八福猫団

この界隈にいる八匹の福を呼ぶ猫。

猫好きでなくても楽しそうですね!

こんな佐賀のおもてなしに

心から癒された僕たちでした!

 

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