小村記念館(宮崎県日南市)

 

小村さんとの再開

むか~し、

学校の教科書で習った小村寿太郎。

この人無くして、

今の日本の形はないかも知れません。

明治時代、いつ地球上から

その名が消えてもおかしくない

極東の弱小国、「日本」という国を、

世界の猛者相手に八面六臂の活躍で、

日本の立場を一挙に高めた人ですから。

そんな小村さんが、

日露戦争の終戦交渉である

ポーツマス条約講和会議で纏っていた

ブルックスブラザーズ製のフロックコートを

宮崎県総合博物館で見たのは、

一昨年晩秋の事。

久しぶりの小村さんとの再開は、

彼の生まれ故郷である

飫肥(日南市)でした。

ちなみにそのフロックコートはこちらです。

ブルックスブラザーズ社、

最近倒経営破綻したようですが、

小村さんのフロックコートは、

永遠に不滅です(笑)

小村記念館へ

飫肥藩主が明治になり

お城から住んだお屋敷、

豫章館とは道を挟んで向かい側、

飫肥城の大手門のすぐ手前に

小村記念館はあります。

古風なエントランス。

正式名称は、

「国際交流センター

小村記念館」とちょっと長め(笑)

入ってすぐ正面に見えてくるのは、

旧伊東祐正家住宅。

案内。

庭の木を見て妻が一言、

「なんだろう!?あれ」

あじさいのようですが、

違いますね。

正解はこちら(笑)

オオデマリって、

大きな手毬みたいな花だから

そんな名前になったのか?

そう思ってWikipediaで調べると、

漢字名は「大手毬」!!

当たった~(笑)

小村記念館へ。

玄関には、

「郷土が生んだ明治外交の巨星

小村寿太郎」と掲げられ、

その功績が紹介されています。

入館後は撮影禁止なので、

これで、写真は終了。

館内では、映像や展示品で、

小村さんの偉大な軌跡を

大いに堪能出来ました。

 

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