2021/05/23
郡山城(広島県)本丸編
島原の乱と郡山城
推測ですが、
郡山城に残っていた
石垣の多くが破壊されたのは、
寛永十四年(1637)に起きた、
島原の乱(島原・天草一揆)で、
一揆軍が立て籠もったのが
廃城である原城だったというのが、
大きな原因でしょう。
この乱の鎮圧後、
幕府は諸大名に命じて、
一揆軍が立てこもれそうな
廃城の石垣を
使用不可能なくらいに
破壊させていますから・・・。
もし、島原の乱が無く、
郡山城の石垣が
そのまま残っていたら・・・
僕たちは、その石垣の勇姿を
見られたはず?
いや、歴史はそんな
単純なものではないでしょう。
江戸幕府が別の原因で、
倒れたかもしれませんしね(笑)
嘯岳禅師の墓
毛利元就墓所から
少し登ると、
このような案内があります。
右嘯岳禅師墓
左郡山登山道
「嘯岳禅師の墓」の案内。
名前をフルネームで書くと、
嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)禅師。
超難解なお名前ですね(汗)
案内には、
「(前略)元就は使を出し、
禅師を竹原妙法寺からしばしば
吉田に招き入れた。
元就の逝去に際して、
禅師は葬儀の導師をつとめ、
元就の菩提寺洞春寺の開基にもなった。
この墓は天明八年(1788)
山口洞春寺により建立した。」
このように書かれています。
参拝。
山頂へ
ここからはひたすら登山(笑)
整備された道は有り難し。
途中の景色。
戦国期なら、
敵を見張る場所だったのかも?
背の高いツツジに癒やされます。
石垣の跡に興奮(笑)
ようやく本丸曲輪群に到着。
御蔵屋敷の案内。
本丸を中心に星型の縄張りが
よく分かる平面図ですね。
幕末の五稜郭など
ヨーロッパ発祥の
星形要塞の防御思想と相通じるものが
どこかにあるのかも知れません。
(勝手な推測ですが)
それを考えれば、元就さんの先見の明、
300年先を行っていたのかも!!
ここには石垣が、
かなり残っていますね。
動画でも撮影。
三ノ丸石垣
次に三ノ丸石垣へ。
案内が多いので、迷わず行けます。
三ノ丸の石垣は、
破壊されたとはいえ、
なかなか壮観です。
二ノ丸
次に二ノ丸へ。
二ノ丸の桝形虎口(多分)
なかなか険しい登城路で、
敵を寄せ付けない
雰囲気があります。
二ノ丸の案内。
二ノ丸全景。
本丸
さらに登って本丸へ。
本丸の案内。
本丸と櫓台。
別角度から櫓台を撮影。
ここが郡山城の最上部です。
櫓台へ。
遂に攻城成功!
御本丸跡の石碑。
何故か石碑の上にはお賽銭が・・・。
誰も盗まないのが日本人の美徳、
僕も手を出さないように
気をつけました(笑)
そして、驚いたのが
こちらの景色です。
何と、この櫓台から
200mほど下に流れる、
江の川(ごうのかわ)と橋が
直接見えるではないですか!!
しかも橋の手前側の交差点、
地図で調べてみると、
「外堀」という名前がついていますので、
江の川は、水堀の機能も
果たしていたのでしょう。
さらに敵の動きも一目瞭然、
やはりここが絶好の本丸、
櫓の位置だったのですね!
櫓台から
本丸、二ノ丸、三ノ丸を臨む。
ここで記念のツーショット完了。
この後は、星型の先っぽに配置された
曲輪群を巡ります。