熊野神社(福岡県飯塚市)

 

熊野神社という名前

明治初期、

神社が、国家神道になる前まで、

和歌山県の熊野三山には、

熊野御師(くまのおし)と呼ばれる

現代で言う、旅行代理店と旅館、

神職を兼ねたような凄い宣伝部隊がいて、

全国を廻っていました。

その活躍により

「熊野神社」という名前の神社は、

現代の日本にも多く見られるようです。

ただ、全部の熊野神社が、

神武天皇を導いた、

八咫烏(やたがらす)伝説の

「熊野神社」と関係している訳ではなく、

ここ飯塚市の熊野神社も

独自のご由緒を

持たれている熊野神社です。

神社の案内によると、

「斉明天皇の御世、

朝倉宮が造営された年(661年)、

の六月、熊野崎(現熊野神社の地)に

異人が漂着し、三日後全員が急死した。

その後、立岩の地に疫病が蔓延し、

多くの村人が死亡した。

その時、村長の元に

「我は伊耶那岐命である。

お前たちは我が宮をこの熊野崎に建て

謹んで奉祀すべし」

とのお告げがあった。

村長は、このことを朝倉宮に上申し、

許可を太宰府長官より得て、

神殿を造営し二神をお祀りした。

すると、瞬く間に疫病が治まったと言う」

このように書かれています。

従って、ここでの「熊野」とは、

「熊野崎」という地名から

来ている名前というわけですね。

熊野神社へ

御社殿近くの駐車場に車を置いても、

出来るだけ、

一の鳥居から参拝をするのが、

僕たちの習慣・・・

いえ、僕だけの嗜好に

妻がつき合わされる習慣(汗)

という事で、階段を下り、テクテク歩き

一の鳥居前に到着です。

参道入口と一の鳥居。

個性的な神額の文字。

阿形の狛犬。

吽形。

道路と小川を渡り境内奥へ。

最初に迎えてくれるのが仏像。

二の鳥居。

鳥居横には、

文久二年(1862年)建立など、

古くからある猿田彦大神が

神社の入り口附近に

集められているのは、

他の神社でもよく見られる光景です。

導きの神様だから

参拝者を出迎えて境内を案内する・・・

そんな意味もあるのでしょう。

そんな事を考えながら

さらに階段を上がると

すぐ左手に境内社の

宮地嶽神社が見えて来ます。

鳥居の前から参拝。

そして、このすぐ横には、

この神社で一番の見所である

磐座(いわくら)が現れます。

原始的な神社の形態でもある

神が宿る場所としての磐座には、

注連縄が架けられ神聖な場所として

大切に祭られています。

大岩の上に建つ「熊崎祠」。

案内板。

「立岩遺跡群の上に鎮座まします神社」

と副題に記されているように、

このあたりは、

弥生時代の遺跡の上のようです。

また、右上に紹介されている

「立石神社」の御神体は「岩」。

かなり興味をそそられる神社ですが、

この時の僕には、ここまで行く気力が無く、

案内を見て満足してしまいました(笑)

手水舎。

この手水舎から拝殿前の敷地が、

神社の駐車場になっています。

拝殿へ。

御影石を使った、

重厚感あふれる熊野神社縁起。

内容は、立岩神社と

熊野神社の二社に分けて書かれていて、

前者は神武天皇の東征途上の

出来事にまつわるもの、

後者は、冒頭に書いた、

斉明天皇の朝倉宮時代に

まつわるものです。

そして、

最後の文字に注目。

「傘寿を記念して」

こう書かれています。

宮司様が、80歳を記念して、

自ら建てられた立派な縁起でした。

拝殿前の狛犬。

吽形。

参拝。

神紋は梅。

本殿。

ここで二人の写真撮影完了。

境内社

駐車場になった拝殿前には、

いくつかの境内社が鎮座しています。

須賀神社。

御祭神は、

スサノオノミコトでしょう。

学問の神様、天満宮。

高木神社。

高皇産霊尊が、

祭られているのでしょうか?

恵比須神社。

大国様が置かれているので、

大国主命がご祭神でしょうか?

勝手な推測です。

本日の癒やし

拝殿前で参拝者を迎えてくれる

亀のオブジェに癒やされました。

僕たちが参拝した日の

わずか三ヶ月前、

令和元年12月に、

金婚式の記念として崇敬者から

奉納されたものです。

鶴は千年、亀は万年、

長寿の象徴、亀をモチーフにした

ご長寿夫婦の記念にふさわしい

秀作に出会えたのは、ラッキーでした。

 

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