串良平和公園・慰霊塔(鹿屋市)
知らなかった串良基地
串良平和公園は、
海軍航空隊串良基地跡に造られ
戦争中、この基地から飛び立った
565名の方々が命を落とされています。
(特攻でない通常攻撃も含む)
しかし僕は妻から教えて貰うまで
串良基地の存在を知りませんでした。
どんな悲惨な戦争でも、
100年も経てば、
当時を知る人もいなくなり風化する・・
それに抗うことが難しいのは、
歴史が証明しています。
だからこそ少しでも遺構を残し、
公園や慰霊塔などで、
目に見えるものを作り、
僅かながらでもいいから
戦争しないには何を為すべきかを
伝えていくしかないのでしょう。
慰霊塔
駐車場の場所がよくわからず、
ここでいいかな?というスペースに駐車。
地方公園ならではの
この緩さが大好きです(笑)

公園内へ。

既に慰霊塔が見えていますが、
その前に案内を確認します。

めっちゃ広い駐車場が
あるじゃないか〜(笑)

「串良航空隊の歌」歌碑と旋律。

公園の案内には、
特攻基地を巡っていて
もはや見慣れた言葉、
「教育航空隊→教育課程は無くし
特攻基地となり、
多くの若者が命を落とした(大意)」
こんな内容が記されています。
大切な「教育」をすっ飛ばして
いきなり死出の旅へと追いやる・・
どこかのブラック企業よりも
真っ黒ですよ・・
戦後、のうのうと生きた
軍上層部の無能が悔やまれます・・・
それに文句一つ言わず(言えず)
順応していった若い隊員の方々・・・
技術を人の覚悟で補うという特攻・・
多くの隊員は、理不尽さを飲み込み、
ただ自分の大切な人を守るという
赤心を持って散華されたのです・・

参道の赤い橋を見て青森県の恐山で見た
三途の川に架けられた
赤い橋を想起しました・・

ちなみにこちらが恐山の橋です。
僕たちのいる此岸(しがん)から
特攻隊のご英霊がいらっしゃる彼岸へ・・・
慰霊塔へ続く赤い橋一つで、
身が引き締まる気がします。

慰霊塔へ。

正面。
樹木で書かれた「平和」の文字、
何とか読めますかね・・・

隊員の母が奉納した一対の燈籠。
燈籠には母の詩が刻まれています。
「たとへ身は他国の空に散りとても
みたまは還れ 母の夢路に」(右側)
「串良基地眠れるみたま安らかに
平和の守り永遠に守らん」(左側)

参拝。

慰霊塔の天辺からは平和の鳩が、
ご英霊と参拝者を見守っています。

「今出撃せんとす
何の思い残すことなし
父母兄姉よ幸福であれ
心爽やかにして大空の如く
こうしているのもあとしばらくです
さよう なら」
特攻隊員の遺書でしょう・・・
最後の「さよう なら」この文中の空白に、
「俺は死ぬために生まれたのか?
心は爽やかなのか?
いや、そんなはずはない。
死にたくなんてないよ!
この世に未練だってある・・・
でも俺は愛する人を守るために
心を鬼にして、
この世にさよならするんだよ!」
そんな、
無念の思いが込められている気がして、
胸を打たれます・・・

台座の周囲には特攻で散華された方全員の
お名前が刻まれています。

それぞれに父母、兄弟、祖父母など、
悲しむ人がいたのです。
そんな彼らのお陰で、
今僕たちは平和な日本に暮らせていること
改めて感謝しかありません・・・
慰霊碑
慰霊塔の手前には、
いくつかの慰霊碑があります。

「翔空」の碑。
僕たちの亡くなった息子の漢字が
刻まれています・・・
息子がここに呼んでくれたなんて事は
思いませんが、
ただ、何かのご縁なのでしょう・・・

「蒼空和親」の碑。
串良海軍航空隊予科練習生
第三期生の碑で、
この碑の注目は裏側です・・

まさか、ここで、
この句に出会うとは・・・

「散る桜 残る桜も 散る桜」。
深い・・そして悲しい・・
この句に出会うたび、
涙してしまいます・・・

平和の塔と蒼空和親の碑。
いつまでも平和な空でいて欲しい・・
いや、
みんなの意思と行動で、
平和にしていかなきゃですね!