眞名井神社(京都府宮津市)
大垣
「大垣」(おおがき)と聞けば、
大垣城がある岐阜県の
大垣市を思い浮かべますが、
実はここ眞名井神社周辺も
「大垣」なのです。
このように町の名前を
案内に明記してくださると
その町への愛着と、
想い出が、一層高まりますね!
参道
籠神社参拝を終え、
次なる重要目的地、
眞名井神社へ向かおうとした時、
見つけたのがこちらの案内です。
道案内よりも目に入ったのは、
「願掛け藤絵馬」(笑)
藤棚を大切に育てていた
妻のおばあちゃんが、
呼んでくれたに違いありません!
ということで、
絵馬を目指して一旦、籠神社に逆戻り。
社務所にて藤絵馬を授与いただき、
気分はさらにアゲアゲ(笑)
再度、
眞名井神社を目指します。
ここからスタート。
親切な案内が、
各所に設けられ
全く迷うことはありません。
あと400m。
眞名井神社一の鳥居。
社号標(表)の名前は、
「外宮大元宮吉佐宮」。
籠神社の由緒書きにあった
吉佐宮(よさのみや)ですね。
裏側は「久志日沼前大神宮」。
「大神宮」なので、
崇神天皇の御代に
天照大神を祀った時の
一名でしょう・・・。
案内。
眞名井神社が伊勢神宮外宮の
元宮であることや、
ここが江戸時代、
丹後ちりめんの生産地であり
流通も盛んだったことなどが
書かれています。
あと200m。
社頭に到着。
神社名
先ほどの社号標でも
わかるように
籠神社、眞名井神社には
時代の変遷などにより
多くの別名(比定名)が
あるようです。
石段前の石碑群。
右側の社号標。
なんて読むのかな・・・?
その裏側は・・・
なんと、
瓢箪の絵が描かれています!
ユーモアなのか、
ここに関係する重要なものなのかは、
知る由もありませんが、
裏側を見た人だけの「特典」とも
言えそうです(笑)
とにかく名前、多し!
「真名井原縁起」
かなり長くて難しい文章なので、
超訳すると
「昔は丹波と丹後が分かれていない時代、
豊受大神がこの地に鎮座していた。
そして、崇神天皇の御代に
豊受大神と共に天照大神が祭られ、
その後、伊勢へとお移りになられ
そこで祭られたので、
ここは元伊勢と呼ばれる」
こうなります。
波せき地蔵
眞名井神社参拝前、
社頭で大切に祭られた
お地蔵様へ。
「波せき地蔵」
案内を書き出すと
以下になります。
「大宝元年(701)に
大地震の大津波が押しよせたのを、
ここで切り替えしたと伝えられ、
以後天災地震から守る霊徳と子育て、
病気避けの妙徳も聞こえる。
又、日本原点の眞名井の神への
お取り次ぎもされると云う、
霊験あらたかなお地蔵さんである。」
なんか、凄いお地蔵様ですね!
最近できた石碑の形をした地図記号
「自然災害伝承碑」としても
記載されているかも知れません。
参拝。
穏やかなお顔のお地蔵様、
新鮮な榊と綺麗な着物で、
崇敬者のお気持ちが、
グッと伝わってきます・・・
天の眞名井の水
社頭にはもう一つ、
重要なものがあります。
眞名井の水。
案内を書き出すと
以下になります。
「室町時代の伊勢神宮の
神官が詠んだ和歌に
「花開ハ眞名井の水を結トテ
藤岡山二アカラメナセソ」とあり、
傍注に
「件ノ眞名井ノ水ハ自天上降坐ス。
始ハ筑紫日向ノ高千穂ノ山二居置給フ。
其後丹波与佐之宮二移シ居置キ玉フ。
豊受太神勢州山田腹二御遷幸。
仍彼水ヲ藤岡山ノ麓二居祝イ奉リ
朝夕ノ大饌料トス」
とあります。
「丹波与佐之宮」とは、
当社の古称であり、
鎮座する山を藤岡山といいます。
伊勢外宮は藤岡山の麓にあり、
天の眞名井の水は当社から
伊勢神宮の井戸へと遷され、
以来1500年以上毎日欠かさず
両大神にお供えされています。」
なるほど!
豊受大神、天照大神も
飲まれている水だからこそ
霊験あらたかなんですね!
僕と妻はお手水のみ(笑)
それでも霊験あらたかな水には
違いないはず!
参拝
社頭での見所が多くて、
なかなか動けず(笑)
それでもようやく参拝へ。
二の鳥居の前には、
狛犬ならぬ狛龍が配置され、
僕たちに?睨みをきかせています。
石段を登り参拝へ。
この先は撮影禁止なので、
写真はここまで。
そして、
本殿と、その先にある
眞名井古代祭祀場へ。
「願掛け藤絵馬」も
無事、絵馬掛けに掛けて参拝は終了。
最後にツーショットで〆。