麻氐良布神社/那国王の教室
ひと粒で三度おいしい
黒田藩(福岡藩)は、
元和の一国一城令で破却されるまで、
細川家、小倉藩との国境警備のため、
「黒田六端城」と言われる
若松城、黒崎城、鷹取城、益富城、
松尾城、そしてここ麻氐良城と、
6つの支城を持っていました。
その麻氐良城の本丸に鎮座しているのが、
山上の麻氐良布神社「上宮」で、
今回バスツアーで参拝したのは、
山の麓にある「下宮」になります。
ということで、
昔あったアーモンドグリコのCMみたいに、
「ひと粒で二度おいしい」みたいな、
一ヶ所の訪問で、お城と神社を
二つも体験できる事になりました。
さらに、
それにプラスして、
バスの駐車場を提供していただいた、
「普門院」というお寺にまでも
参拝することができたので、
麻氐良布神社参拝は、
「ひと粒で三度おいしい」(笑)
嬉しすぎる結果となったのです!
参道(登山道)
麻氐良布神社には、
「まてらふ」と「まてら」の
二つの読み方があるようで、
地元では「マテラさん」と
呼ばれているようです。

岩戸山古墳から約20分ほどで、
普門院の駐車場に到着。
ここからは軽い山登りです。

柿畑に囲まれた登山道。

葉っぱが落ちた状態の柿の木、
夜見たらちょっと怖いかも(笑)

参道入口が見えてきました。

神社の入口には、
「左右良城跡」と刻まれた
標柱があります。
左右良城は「麻氐良城」の
別名のようですがその経緯など
詳細は不明です。

一の鳥居へ。

神額。

趣のある石段参道。

右側の燈籠には竪堀みたいな
深い溝が掘られています。
以前、幸若舞の伝承地、
みやま市の「大江天満神社」で
見たものと同タイプなので、
地域的な特性があるのかも知れません。

案内を要約すると以下になります。
「平安時代の延喜式神名帳に、
「上座郡麻氐良布神社小一座」とある。
戦乱期の社殿荒廃を経て、
慶長五年(1600)
栗山備後利安が祭田を寄進、
続いて鎌田昌生が郡主となた元禄年間
(1688〜1703)に
本殿、拝殿を建てたとある。
その後荒れるに任せたが、
平成10年に、
社殿の屋根をふき替えている。
その時不思議な出来事が起きている。
同年4月21日、
御神体を宝満宮にお移しすする際、
御神体を運び出そうとした時、
山鳴りがしたり、
同年8月27日、
御神体を宝満宮からお移しし、
祠にお収めした時、
「ボーン、ボーン」と云う
誠に気持ちのよい明るい音を聞き、
参列者は、神様も安堵されたのかなと
感じ入った次第である。」
ここで出てきた栗山備後利安は、
麻氐良城の城主(城代)をしていた人で、
黒田家の家老です。
栗山という名字を見て、
もしかして「黒田騒動」の
栗山大膳と関係あるのかな?
と思って調べると、
栗山大膳(利章)の実父でした。
三代目藩主の黒田忠之の
不行状を幕府に訴え、
将軍、徳川家光直々の裁定で、
陸奥盛岡藩にお預けとなった
栗山大膳ですが、
まさか盛岡(岩手県)で
生涯を終えるとは、
想像もしていなかったでしょうね(笑)
ちなみに黒田忠之公は、
鎮国寺の本堂、
宗生寺の馬頭観音堂の再建、
近年、国指定重要文化財となった、
糸島市鎮座の桜井神社の楼門建立など、
神仏への崇敬は篤い方だったようで、
ただの「うつけ」ではない気がします。

さらに奥へ。

車道を跨ぎ再び山道へ。

最後の石段。

二の鳥居は柱のみが残り、
右には鳥居一基を寄進した事、
左には、
天保十四年二月と刻まれています。

往時の名残でしょうか、
石垣がお城っぽいですね。

阿形の狛犬は、
子狛犬も「阿形」です(笑)

吽形。
子供は阿形ですね。

下宮に到着。

参拝。

お供物は、蜂の巣と柿と栗。
何気に尺取り虫が、
栗に登ろうとしています(笑)
この素朴な風景、
なんか癒されますな〜!
そして
癒されると言えばこちらもです・・

予約制で授与出来る御朱印です。
僕は授与していませんが、
K氏のご好意により撮影しています。
宮司さんの優しさが
滲み出ているというか、
実に素敵な御朱印ですね!

御社殿背後で、
麻氐良城を遠望。

回れ右して下ります。

やっぱり最後はこれで〆。
(続く)