筑波山神社(茨城県)御神橋・随神門

 

是非に及ばず

筑波山神社参拝後は、

ケーブルカーで山頂まで行き

絶景を堪能する予定でしたが、

こちらの案内により、

計画は白紙撤回に・・

「筑波山ケーブルカー運休のお知らせ」

「筑波山ケーブルカーでは下記の期間、

皆様に安心してご利用いただくために、

定期検査・設備工事を実施いたします。

ご迷惑をお掛けしますが、

ご理解、ご協力のほど

よろしくお願いします。

【運休期間】

2025年12月8日(月)→

12月12日(金)」

僕たちが筑波山を訪問したのは、

12月12日(金)なので、

山頂行きはここで強制終了、

本能寺の変での織田信長風に言えば、

「是非に及ばず」(笑)。

要するに、

「受け入れるしかない」という事で、

前向きに捉えれば、筑波山神社での

時間的余裕が生まれた訳ですが、

逆に余裕すぎてなのか、

心の底に残った動揺か、

徳川家光寄進の厳島神社の

見逃しが発生するという失態も・・

しかしこれで、

また筑波山に行く口実が出来たのも

間違いなさそうです(笑)

御神橋

まずは筑波山の全景から。

やはり霊山は全体像を見たいもの、

これは筑波山神社へ向かう途中の

道端から撮った動画です。

少しして神社の駐車場に着き、

その横にある水戸天狗党の

藤田小四郎之像を訪問した後、

石段を降りて参道へと向かいます。

ここは神社参道の起点付近ですが、

算木積みの隅石と石垣が、

まるで立派なお城ですね!

自転車の駐輪場案内もあります。

サイクリストの参拝も多いのでしょう。

黒光りが美しい牛の像。

「紫峰牛(しほうぎゅう)」という

筑波山麓で育てられる

黒毛和牛業者の方の奉納で、

菅原道真さんとは無関係ですね。

「ケーブルカーのりば」の案内。

この時は、まさか次なる案内で、

「是非に及ばず」となるなんて、

思いもしていません(笑)

御神橋。

「御神橋(県指定文化財)」

以下、全文です。

「切妻造杮葺屋根付 間口一間 奥行四間」

「天正十八年(1590)

徳川家康公が江戸城に入城され

筑波山を仰いで

江戸鎮護の霊山と崇め給う。

寛永十年十一月(1633)

三代将軍家光公寄進

元禄十五年六月(1702)

五代将軍綱吉公改修

安土桃山時代の豪壮な遺風が見られる。

この御神橋は春秋の

御座替祭(四月一日・十一月一日)・

年越祭(二月十日十一日)に

参拝者の渡橋が許される。」

筑波山は江戸からして丑寅(艮)の方角、

鬼門(北東)です。

そんな理由からも「鬼門封じ」として、

筑波山神社は重要視されていたからこそ

家光さんから大々的な寄進も

されているのでしょう。

また、

綱吉さんは自分のお父さんである

家光さんが寄進したこの御神橋に

愛着があったゆえ、

改修をしたのかも知れません。

斜め前から。

家光さん好みで、

華やかな雰囲気ですね。

太鼓橋部分をアップ。

横から。

手水舎

ここには古いものが多く、

手水鉢もぞの一つです。

手水舎。

手水鉢。

宝暦八年(1758)の寄進なので、

御年なんと276歳ですが、

まだまだ現役で頑張っておられます!

随神門(楼門)

そして、冒頭に書いた、

「是非に及ばず」の現場がこちらです。

いざ、随神門へ!

階段下の立て札が、冒頭で書いた

ケーブルカー運休のお知らせです。

狛犬(阿形)

吽形。

もうすぐ随神門ですが、

ここで妻が雄叫びを・・

「あれ凄い!」

お〜確かに!

崖にそびえる夫婦杉的な

御神木で、妻好みの

「崖っぷち巨木」です(笑)

「随神門(市指定文化財)」

以下、全文です。

「八脚楼門 間口五間二尺 奥行三間」

「寛永十年十一月(1633)

三代将軍家光公寄進

宝暦四年(1754)焼失 再建

明和四年(1767)再び焼失

文化八年(1811)再建

県内随一の規模

往古は、これより神体山である

筑波山を遥拝したといわれ、

今でも自然と社殿とが

一つになり神ながらの

荘厳さを感じさせる霊所である。

当神社の境内地はこれより山頂を含む

約三七〇町歩(ha)に及ぶ。」

上野東照宮をはじめとして、

各地にある家光さん寄進の建築物は、

その多くが幸運に恵まれ、

建立後400年以上の今も残っていますが、

この随神門は二度も

火災に見舞われているのですね・・

筑波山神社が「鬼門封じ」という役目柄、

身を挺して江戸を守ったという

勲章なのかも知れません。

切り込み接ぎの台座が美しい燈籠と随神門。

12月12日でしたが、

既に「謹賀新年」と、

正月準備は万端のようです。

奥の拝殿と随神門。

上の段から撮った随神門。

ここで発見したのは

高蘭の四隅に下がる「玉」です(笑)

赤い玉。

屋根の四隅にもそれぞれ色の違う玉が

吊り下げられています。

白い玉。

青い玉。

紫の玉。

そしてさらにもう一つありました!

門内の真ん中、

天井から吊り下げられた緑の玉。

Mrs. GREEN APPLE好きの妻は、

テンション爆上がりです(笑)

この五つの玉が、

新年を迎える準備の一つなのか、

それとも随時あるものか?

何を意味するのか?

詳細どころか概略もわかりませんが、

「縁起が良い」ものには

間違いなさそうです。

次に神門左右の武人の像へ。

随神門向かって右側、

豊木入日子命とよきいりひこのみこと」像。

明治初期までの神仏習合時代、

ここには仁王像が

安置されていたものと思います。

豊木入日子命とよきいりひこのみこと

「筑波山に縁り深い古代武人の一人で

第十代崇神天皇の皇子である。

命が或夜大和国みもろ山に登って

東に向い刀と槍を各八回振る様を

夢見られ天皇は霊夢の謎を解き給いて

命を東国(木国)に遣わし給う。

命は長くこの地を治められ

筑波の里で神去り給うたが

御威徳を慕う山西の民によって

宇都宮二荒山神社ふたあらやまじんじゃに祀られ

下毛君上毛君の祖と仰がれた。

五世紀ごろ山東の柿岡に栄えた

佐自奴公(なじぬのきみ)も

また同族である。」

お顔アップ。

随神門向かって左側、

倭建命やまとたけるのみこと」の像。

「倭建命」

「筑波山に縁り深い古代武人の一人で

第十二代景行天皇の皇子である。

天皇の四十年伊勢神宮に詣でて

倭姫命やまとひめのみことより託された三種の神器の一つの

あめのむらくもの剣(天叢雲剣)を奉じて

東征に赴き筑波山に登拝し給う。

東北の日高見国より還路甲斐国折宮にて

「にいばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」

と詠み給い

篝火役の翁が

「かかなべて 夜には九の夜日には十日を」

と詠い続けた。

世に筑波の道と云い連歌の始まりである。」

スサノオが八岐大蛇やまたのおろちを退治した時、

その尻尾から出てきたのが、

あめのむらくもの剣で、

倭建命が草を薙いで勝利を得た事で、

「草薙の剣」とも呼ばれ、

現在は熱田神宮の御神体となっています。

お顔アップはピンボケです(汗)

大祓の茅の輪が設置された随神門へ。

人の身代わりとなり、

罪穢れを背負ってくれる

ありがた〜い形代(かたしろ)に

お礼のご挨拶(笑)

作法はほぼ全国共通。

案内写真の茅の輪は拝殿前ですが、

今回は随神門前に設置されています。

一礼して、左足から左回り。

次に右足から右回り。

もう一度左足から左回り。

拝殿前ではないので、

茅の輪前で一礼し直進。

兼務社遥拝所

随神門の前で珍しいものを発見しました。

兼務社遥拝所。

伊勢神宮遥拝所ならば、

多くの神社で見かけますが、

兼務社の遥拝所完備とは、

筑波山神社は、

なんとお優しい神社でしょう!

しかも

兼務社の案内板まであるのです。

一社ごと、丁寧な説明と写真があり、

それぞれの神社への敬意を感じます。

もちろん、僕たちも感謝しつつ

遥拝させていただきました。

大杉(御神木)

拝殿に登る前、随神門横の大杉へ。

大きさ比較で妻登場。

見るからに古木といった感じで、

案内によれば、

樹齢は800年ほどとの事です。

(続く)

 

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