室津八幡宮(山口県下関市)前編

 

ぞっこん(笑)

室津八幡宮は、

海の近くに鎮座することくらいしか

知りませんでしたが、

鳥居近くに建つ頌徳碑について

詳しい案内があったお陰で、

近代における

室津八幡宮の心に響くストーリーを

知ることが出来ました。

(内容は後述します)

そして、ビジュアルとしても

繊細な造りの本殿や境内社、

手入れの行き届いた境内、

そして、

境内近くには美しい浜辺があり、

もう、僕たちは、

室津八幡宮にぞっこんでした(笑)

社頭

旅の2日目は、

下関市の室津八幡宮からスタート。

駐車場。

左の車が停まっていたので、

ここに停めていいと判断(笑)

社頭には左右二つの鳥居があり、

右が、室津八幡宮の本殿、

左は境内社である

若宮社の参道入口となっています。

頌徳碑

まずは本殿へ。

社頭風景。

境内へ。

すでに拝殿は近くですが、

鳥居をくぐって右側、

少しわかりにくい場所に、

立派な石碑が建っています。

こちらが冒頭に書いた、

「ストーリー」を知る素となった、

「阿部翁頌徳碑」で、

この碑の横にあるのが、

ビックリするほど立派な案内板です。

「阿部浅蔵翁頌徳之碑」

いや~この案内板の風体、

只者ではありませんね(笑)

案内を書き出すと、

以下になります。

「この碑は室津二区の阿部家の祖先、

阿部浅蔵氏を頌えた碑です。

天保二年(1831)生まれで、

元治元年32才の時、

長府藩主より寺社大工の鑑札を受け、

近郷の若者を徒弟として

撫育教導を実施した名工匠として、

名を轟かせた人物です。

特に、明治二十四年の室津浦の大火において

自家の焼失をも顧みず、室津八幡宮の

消火に努めたが及ばず、社殿が焼失した事に

心を傷め率先し、社殿の復元に当たり、

明治三十五年七十才の老体を推して、

再建の棟梁を務めたのが現在の社殿です。

翁は大正元年八十才で逝去されましたが、

遺徳を偲んで有志二百五十七名と、

地元青年会の協賛により

大正二年建立されたものです。

元宮津八幡宮惣代

故宮本 仁氏遺稿

(室津の風物詩より)」

こんな凄い人が建てた御社殿を

実際にこの目で見られるとは、

なんて僕たちは幸せなんでしょう!

案内板さん、ありがとう(笑)

偶然か?

参道には3対の狛犬がいて、

そのうち、一番社頭側の一対は、

天保二年の寄進ですよ!

そう、

天保二年と言えば、

先程書いた、

阿部浅蔵氏が生まれた年なんですね!

阿形。

浅蔵さんが生まれた事を

記念して寄進されたものだとしたら

めっちゃ鳥肌ものですが、

まさか、

そこまでは・・・ないか・・・

やはり偶然か?(笑)

吽形。

もう二対の阿形。

こちらは吽形。

手水鉢

ここには、

色んな「イベント」があって、

全く気が抜けません(笑)

手水鉢もその一つで、

こんな感じでのお手水となります。

井戸水を手動で汲み上げ、

手水鉢に流して、清めるなんて

楽しすぎですよね!

拝殿。

ようやく(笑)参拝。

拝殿から本殿へ。

左から、拝殿、幣殿、本殿。

浅蔵さんが再建した本殿に参拝。

段数の多い、立派な組物に

浅蔵さんが神社再建にかけた

強い思いを感じずにはいられません。

この角度から見ても

また素晴らしいですね!

本殿斜め上から。

浅蔵さんの「心」

伝わりました・・・

拝殿前にてツーショット。

次は、境内社へ。

招魂社しょうこんしゃ

昭和14年、全国の「招魂社」は、

「護國神社」へと名称が変更されましたが、

現在に於いても「招魂社」の名前は

数々の神社で残っているようで、

最近では滋賀県、賤ヶ岳の麓に鎮座する

伊香具神社で招魂社を参拝しています。

僕は、御英霊の魂を招くという、

直接的な表現の、

「招魂」という言葉の響きに、

特別な気持ちにさせられます。

招魂社の参道口に建つ、

「出征軍人記念碑」

鳥居。

「招魂社」の神額。

参拝。

この時、飛行機が上空を通過。

日本は今、皆様のお陰で、

こんなに平和な空です。

爆弾も落ちて来ませんし

敵機も攻撃してきません・・・

御英霊の方々あっての僕たち、

平和を継続するための

あらゆる努力を惜しまない事こそが、

一番の慰霊でしょうね!

(後編へ続く)

 

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