2020/01/05

長野水神社(福岡県うきは市)

 

日本の歴史は水との戦いの歴史

日本という国の歴史は

「水」との付き合い方、

また戦いの歴史と言えるでしょう。

令和になってからでも

台風などの水害で、

多くの人が死に、田畑は荒れ、

相変わらず水との戦いは続いています。

江戸時代、

そんな水との共存を目指した人が、

各藩にも出現し、

それぞれの功績を残しています。

ただ、その多くは、上級武士だとか、

藩の中枢で手腕をふるった人々でした。

佐賀藩の成富兵庫茂安

土佐藩の野中兼山などが

その代表格でしょう。

ところが、うきは市は違っていました。

江戸時代初期、

畑だった荒れ地に水を引き、

安定して稲作が出来るようにと

五人の庄屋が集まって藩主に嘆願し、

私費で水路を作ってしまったのです。

うきは市を散策していると

行く場所ごとに必ずこの「五庄屋」に

まつわる逸話が、

まるで昨日の出来事のように

詳しく案内されています。

素晴らしいことだと思います・・・

「政治が悪いから」

「上が何もしないから」

「お金を出してくれないから」

そんな言い訳を笑い飛ばすような

名もなき英雄たちの足跡に触れ、

今生きている自分の小ささを

再度見つめ直す事が

出来たかもしれません(多分・・笑)

金爆

朝から徒歩で散策していたのは、

うきは市の西側に位置する

旧吉井町にあたる場所でした。

同じ吉井町でも東側の長野水神社や、

そのまた東側の旧浮羽町への移動は、

車を使ってかないと倒れてしまう(笑)

距離なので、一端駐車場に戻ります。

僕たちは、うきは市の

観光会館「土蔵」の裏側に

駐車しているので、

建物の表から一旦中に入り、

裏に抜ける事にしたのですが、

入ってから何気なく店内を見ていたら・・・

金爆(ゴールデンボンバー)の

樽美酒研二(ダルビッシュ ケンジ)の

サインを発見!!

Wikipediaで調べてみたら

このダルビッシュさん、

ここ、うきは市吉井町の

出身ではないですか!

故郷に錦を飾っていたのですね~。

「女々しくて♪女々しくて♪」

じゃなくって、

「嬉しくて♪嬉しくて♪」

金爆好きな妻のテンションは、

かなり上がっています(笑)

長野水神社へ

旧吉井町から旧浮羽町の

長野水神社までは車で10分ほど。

その名の通り、水の神様ですから

川の傍に鎮座しています。

社号標。

長野水神社の由来。

江戸時代初期、筑後川の水を引くため

命がけで工事を敢行した

五人の庄屋を祭っています。

由来には、

先に訪問した鏡田屋敷で見た

五庄屋を顕彰した

小学校の校歌と同じ内容が書かれています。

長野水神社の春祭りでは、

毎年この校歌が歌われているそうで、

御祭神の庄屋さんたちも

さぞかし喜ばれている事でしょうね。

この神社内にある石碑や灯籠など

を建立する原資となった

多額の寄付をした方の紹介も

書かれています。

こちらは平成8年に完成した、

灌漑工事の記念碑。

その工事で近代化された川面。

サイクリングロードの起点

なかなか境内に入れないほど

盛りだくさんの話題がある長野水神社。

その神社の前は、サイクリングロードの

起点にもなっています。

詳しくて見た目も綺麗、

さらに分かりやすい案内板。

長野水神社から筑後川大堰まで、

34Km以上も続く、

サイクリングロードです。

平坦なコースなので、

走りやすそう・・・

でも僕たちは自転車より

自動車かな(汗)

案内もしっかり出ていますね。

神社の前で写真を撮っていると

タイミングが良いことに

いかにも「サイクリストです!」

と言わんばかりの完全装備の

お兄さんが走って行きました。

久留米まで行くのでしょうね!

境内へ

境内入口は、川側と

こちらの神橋側の2つで、

僕たちはここから入ってみました。

神橋へ。

石碑に書かれていたものと

ほぼ同じ内容ですが、

やはり白地に黒文字の方が、

読みやすい気はします。

参道脇左脇には、数々の石碑があります。

左は稲富稜人(たかと)先生の像。

地元選出の衆議院議員で、

昭和28年の大水害復旧について

多額の国庫補助金を獲得し、

地元への貢献が絶大と書かれています。

また、右側の灯籠は

昭和5年に奉納されたものです。

さらに進みます。

寛文四年(1664年)の五庄屋による

筑後川の大石、長野の

二水道が築かれてから300年経った

昭和38年に300年祭を行った時の石碑。

こちらは同じく350年祭の石碑。

「水害記念碑」。

記念というのか・・水害でも。

遺跡の紹介。

用水路の案内。

そして、やっと(笑)手水舎に到着。

手水鉢には説明が書かれています。

「この石は、

寛文四年(1664年)

五庄屋が、長野水門を

作った時の天井石です。

噴水口には五庄屋の家紋が

彫ってあります。」

何だか手水するのが、

申し訳ないほどの

由緒ある石ですね!

家紋・・あります!

やっとこさ拝殿へ(笑)

巨大な狛犬。

大きさの比較のため妻が登場(笑)

吽形。

そして、ここで見つけたのが、

こちらです。

妻のおばあちゃんの化身である

モンキアゲハが来てくれました・・・

参拝。

御祭神である五庄屋の方々と

水波能売命(みずはのめのかみ)に

ご挨拶。

僕は、水波能売命と聞く度に

その母であるイザナミノミコトの

おしっこから生まれた事が

古事記に書かれているのを

思い出してしまいます(笑)

左が拝殿、右が本殿。

本殿は木の塀で囲まれ神門まである

かなり立派な建物です。

本殿後ろから。

一回りして左側から。

最後にツーショットで参拝完了。

今日の癒やし

季節外れの桜の花。

10月半ばというのに

桜が咲いていました。

何とも癒やされる光景ですね!

 

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