太宰府天満宮・菅公歴史館(前編)

 

博多人形独特の味

菅原道真公の生涯を

超簡単に言うならば、

生まれた→めっちゃ偉くなった→

朝廷において大昇進した→妬まれた→

左遷された→亡くなった→

大体こんな感じでしょうか(笑)

これを装着博多人形のジオラマにして、

16のシーンに分けて紹介しているのが、

菅公歴史館です。

ちなみに装着博多人形とは、

今は制作されていない

博多人形の古い手法で、

映像などで見るのとは全く違った、

装着博多人形独特の味というか、

歴史の重みと

アナログならではの良さを

ビンビン感じられるのです。

わずか200円の入館料で、

プライスレスな体験が出来る菅公歴史館、

入ってみて本当に良かったと思います。

お石茶屋〜菅公歴史館へ

天開稲荷社お石トンネルを巡り、

菅公歴史館へと歩く道、

お石茶屋の前を過ぎると

参道の石段が見えてきます。

ここを何気に降っていたら

妻が雄叫びを(笑)

「これ梅の花になってるよ!」

お〜確かに梅の花だ〜!

こんな細かい芸が

施されているとは、

ビックリですね!

職人さんの遊び心なのか、

仕様だったのか・・・

それにしても

足元の小さな装飾に気付いた妻、

どこに目が付いているのやら?

菅原道真公の人形

周辺が工事中なこともあり、

少し迷って入口を発見。

入館。

案内表記は、

英語・台湾語(繁体字)・韓国語。

拝観券。

「通りゃんせ」の歌詞が

可愛らしい絵になって

僕たちを出迎えてくれます。

確かに「天神様」の細道だから

菅原道真公の歌でもあるんですね!

今更ながら気付かされました(笑)

突き当たりに安置された

菅原道真公などの人形を見て妻が一言、

「凄い!福島とか山形のもあるよ!」

日本各地の菅原道真公や

牛ちゃんの人形が、

シルエット付きで案内されています。

指先まで神経が行き届いたおもてなしに

博多人形を見る前から感動しっぱなしです!

そしてここで、

いくつかをアップで撮影・・

7 山形県(鶴岡)土焼

12 岩手県(花巻)土焼

13 福島 土焼

15 福島県(三春)張子

これを見ていると、

また東北に行きたくなって来ました(笑)

道真公のご生涯

前菜(人形の紹介)を美味しくいだき、

いよいよメインのジオラマへ。

シーンごとの説明が記されたパンフレット。

これを参考に16シーンを巡り、

所々を抜粋して書き出してみます。

1 梅の花の歌(5歳)

「うつくしや

紅の色なる梅の花

あこが顔にも

つけたくあるぞ」

道真公は幼い頃から才能抜群で、

梅ともご縁があったようですね!

次なるシーンへ。

2 お母様の祈り 15歳

「久方の

月の桂も祈るばかり

家の風をも

吹かせてしがな

これは菅公が元服を迎えられた時、

母君が贈られた歌です。」

菅原道真公の紹介と

蒙古軍船の碇石。

ここからは、

大人になった道真公です。

3 文武の達人 26歳

「文武両道の道真公は、

郡良香の家で催された弓遊びで、

百発百中の腕前をお示しになった」

ここで妻が、

「置鮎琢磨さん(人形師)の作品、

顔とかがめっちゃ感動する!」

そう言ったのでアップを撮ってみました。

確かに素晴らしいですね!

4 文章博士もんじょうはかせ 26歳

「菅公は18歳の若さで

文章生の試験に合格され、

33歳で文章博士となられ、

父の学問所も継がれ、

「和魂洋才」の精神で多くの

優秀な学生を育てられました。」

5 名外交官 39歳

「渤海からの大使の

接待役を命じられ、

宴席で菅公は即席で

詩を作られた時、

渤海大使は

「白楽天と似ている」と

褒めて称えました。」

こちらもドアップ。

いいお顔してますな〜!

6 情深い政治家 42歳

「菅公は讃岐守として

四国へ赴き、

飢饉の年には米倉を開いて

人々に与え、日照りの年には、

自ら雨乞いを行うなど

人々に大変慕われました。」

7 紅葉のにしき 54歳

「このたびは

ぬさもとりあへずたむけ山

紅葉の錦

神のまにまに」

「菅公が宇多天皇のお供で、

東大寺手向山八幡宮へ参られた時、

山の紅葉を詠まれたのが

百人一首にもみえるこの歌です。」

8 恩賜の御衣 56歳

「醍醐天皇への御恩と感謝の気持ちを

込めて詩を詠まれた時

醍醐天皇はご褒美として

菅公に御衣を下されました。」

9 流され人 57歳

「流れゆく

われは水屑となりはてぬ

君しがらみと

なりてとどめよ」

「右大臣になった菅公をねたんだ

藤原時平が醍醐天皇にうその

告げ口をしたため、

無実の罪で太宰府へ左遷される

ことになりました。」

10 紅梅殿の別れ 57歳

「こちふかば

にほいおこせよ梅の花

あるじなしとて

春な忘れそ」

「菅公は家族と紅梅殿で名残を

惜しまれた。

かわいがられていた庭の梅は、

この後、菅公を慕って太宰府へ

一夜のうちに飛来し、

「飛梅」となっています。」

11 都をあとに 57歳

「君がすむ

宿の梢をゆくゆくも

かくるるまでは

かへり見しはや」

「木陰からそっと見送る人々は

別れを惜しんで涙しました。」

12 道明寺の別れ 57歳

「西下の途中、

河内の国府・道明寺に住む

おばさまに別れを告げれれました。

一晩中語り明かしましたが、

意地の悪い役人が鶏をわざと早く

鳴かせたので、

菅公は慌てて出発しなければ

なりませんでした。」

13 博多に上陸 57歳

「博多に着いた菅公は、

みすぼらしい姿でした。

浜の漁師は、舟のとも綱をまいて、

菅公に座っていただきました。」

グッジョブの漁師をアップ。

いい顔してますな〜!

14 去年の今夜 57歳

「太宰府での生活は辛く、

苦しいもので、

菅公は、都の天皇様や奥さまのことを

思い出されない日はないほどでした。

九月十日の夜、

菅公は去年宮中でいただいた

御衣を取り出し、

天皇様をお慕いし、

都を懐かしむ詩を詠まれました。」

15 天拝山の祈り 58歳

「菅公は人も天も恨まれることなく、

謹慎の毎日をおくられました。

ある時、太宰府の南、

天拝山に登られ、御自分の無実と、

国家の繁栄を一心に

お祈りになられました。

その祈りは天に届き、神様より

「天満大自在天神」の神号を

与えられました。」

祈る道真公アップ。

この表情、お姿、

なんかこちらまでが

嵐の中にいるような気分になりますね!

16 安楽寺(葬送) 59歳

「太宰府の貧しい生活で、

御病気になられた菅公は、

都に帰ることもできないまま、

配所の南館(現 榎社)で

おなくなりになりました。

門弟の味酒安行うまさけのやすゆきは、

菅公のなきがらを乗せた牛車が

動かなくなった地に

菅公を葬りました。

それが現在の太宰府天満宮の

御本殿の場所です。」

濃いすぎる内容に

ただ感動するのみの僕たち・・

この後は、菅公歴史館後半戦へと

突入します(笑)

(続く)

 

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