日光東照宮(日光市)御社殿
御祭神の変更
日光東照宮の御祭神は、
明治初期の神仏分離により
変更されています。
主祭神の東照大権現(徳川家康)、
配神の山王神、
摩多羅(まだら)神の三柱から
主祭神は変わらず、
山王神は豊臣秀吉へ、
摩多羅神は源頼朝となり、
以来、今日までそのままです。
何故、家康のライバルだった
豊臣秀吉なのか?と
疑問に思ったりもしますが、
明治政府が、秀吉を神として祀った
豊国神社を復興させるなど
「豊臣秀吉推し」だった事と、
比叡山の鎮護社であった
日吉大社(山王神)は、
織田信長の比叡山焼き討ちで
焼けてしまった後、
豊臣秀吉が社殿を復興し、
現在の日吉大社の形にした功績などが
配慮されたのかも知れません。
(勝手な推測です)
神輿舎
陽明門をくぐると
正面に唐門、拝殿、本殿、
左(西)側に神輿舎、
右(東)側に神楽殿、祈祷殿、
眠り猫の彫刻と、
その先に、徳川家康公が眠る
奥社宝塔への入り口があり、
ここも見所が満載で、
巡るのに一苦労します(笑)
神輿(しんよ)舎。
「重要文化財 神輿舎」
案内を書き出すと、
以下になります。
「屋根は入母屋造、上に千鳥破風をつけ、
正面は軒唐破風で下に
虎の彫刻が施されている。
三基の神輿が収められており、
中央が徳川家康公、
右側は豊臣秀吉公、
左側は源頼朝卿の神輿。
春秋大祭で御旅所まで渡御するが、
前後に千余人が供奉することから
百物揃千人武者行列と称される。
内部の鏡天井の金箔地には
狩野弥右衛門による
天女舞楽の図が描かれている。」
眩いばかりの三基の神輿。
真ん中の家康公のものは、
徳川家康公の干支、
虎が彫られています。
ちなみに秀吉公のものは、
「猿」の図柄のようですが、
これは江戸時代まで祀られていた
山王神の神使である
「神猿」(まさる)を
表すものかも知れません。
神楽殿
次に東側の神楽殿へ。
人が多いので、
見るのも大変だ〜(笑)
案内には、
「春秋大祭では八乙女がここで神楽を舞う。
舞台は御本殿側に向いており、
その両側は観客が見やすいよう
上に開く蔀戸になっている。」
このように書かれています。
神様に楽しんでいただく神楽ですから
やはり神様の方向に
向いているという事なんでしょう。
祈祷殿
次に神楽殿の前に位置する祈祷殿へ。
参拝者の祈祷を行う場所かな?
(案内があったか否か忘れています)
唐門・拝殿・本殿
拝殿への入場前、
まずは御社殿の外観を散策。
唐門と拝殿。
少しアップで撮影。
とにかく、ここは
人、人、ひと〜なんです(笑)
唐門・拝殿の正面。
唐門。
こちらも陽明門と同じく、
中国っぽい細やかな彫刻が
施されています。
拝殿内への入場はここから。
目の前の燈籠は、
徳川家光の妹であり、
後水尾天皇の皇后、
東福門院(徳川和子)の寄進で、
唯一、陽明門の内側に
建てられたものです。
拝殿と本殿(右奥)。
この後、拝殿内にて参拝完了。
拝殿内は撮影禁止なので、
写真はありません。
(続く)