濃飛護國神社(岐阜県大垣市)
伝えるべき記憶
70年以上前の世界大戦で、
理不尽に拉致され、
強制労働させられた日本人がいます。
それは60万人とも70万とも言われる
ソ連(ロシア)によるシベリア抑留者です。
不当な処刑や餓死、
抑留者である側の上官による
兵士への虐待を含め、
亡くなった方は6万人以上・・・
そんな彼らを偲ぶ石碑が
濃飛護國神社の社頭に建てられています。
恒久平和之碑。
案内。
この石碑を見て、
「シベリア抑留って
なんと理不尽なものなんだ!」と
小学生の頃、大いに憤った
遠い昔の記憶が蘇りました・・・
それだけでも
この石碑の効能は、
絶大かも知れません・・。
そしてもう一つ、
濃飛護國神社には
伝えるべき記憶が紹介されています。
拝殿に貼られていた
水中特攻兵器「回天」のDVDの案内。
「回天」とは、
人が魚雷を操縦して、
そのまま敵艦に体当たり自爆するという
「必死」の兵器で、
多くの隊員が亡くなっています。
ここで、
以前訪問した山口県大津島の
回天記念館で詳しく説明されていた、
黒木博司少佐のお名前を発見!
「生誕百年記念事業」と書かれています。
この方は、
回天で訓練中に海底に突っ込み、
殉職された方で、
酸素が無くなる死の間際まで
詳しい事故状況と回天の改善点の提案、
各方面の方々へ感謝の手紙、
そして遺書などを遺した
まさに軍人の鑑みたいな人です。
岐阜県のご出身だったとは、
初めて知りました・・・
黒木少佐の慰霊と、
ここで出会えたお礼として、
亡くなられた回天隊員全員の
ネームプレートが並べられた
回天記念館参道の写真を掲示します。
回天のこと、
「伝えるべき記憶」の一つでしょう。
参道
濃飛護國神社の鎮座地は、
大垣城のお隣、
昔の城域内です。
社頭からスタート。
ここにも石碑が
いくつか建てられています。
忠魂顕彰之碑。
傷痍之碑。
戸田三弥・高岡夢堂の顕彰碑。
鳥羽・伏見の戦いで幕府側につき、
そのため朝敵とされた大垣藩の藩論を
勤王にまとめあげた二人です。
その後の戊辰戦争で、
大垣藩は明治政府側として功績をあげ、
藩は安泰となっています。
招魂社の社号表。
一の鳥居(多分)
護國神社然とした境内。
手水舎。
清浄な水にて手水完了。
神馬。
狛犬。
吽形。
参拝。
Wikipediaによると
大垣城同様、
空襲によって御社殿は焼失、
戦後、再建されています。
本殿にも参拝。
最後はこれで(笑)参拝完了です。
今日の発見
最初、神社名がわからなく
招魂社じゃないし・・・
なんて思いながら参拝したら、
妻が名前を発見。
「濃飛護國神社 裏参道」
良かった〜確認できて(笑)