飫肥城(宮崎県日南市)後編
飫肥杉
日南市の特産の一つに
飫肥(おび)杉があります。
Wikipediaで調べると、
「江戸時代、
伊東氏飫肥藩によって
植林活動が始められた。」
このように書かれ、
藩主の伊東氏が飫肥杉には
大いに貢献しているようです。
さらに、
「1718年(享保3年)、
当時の藩主伊東祐実が
植林を前提として伐採した材木の利益を
住民2分の1、藩2分の1に分配する
「二部一山の法」をつくり本格的に
植林を奨励することになった。
(中略)
飫肥藩は1791年(寛政3年)に
二部一山の法を「三部一山の法」
(利益配分は
住民3分の2、藩3分の1)に改め、
林業を監督する山方奉行を新設し、
さらに杉山帳簿を作成するなどして
植林事業を強化している。
「三部一山の法」の思想は
1878年(明治11年)制定の
「部分木仕付条例」にも盛り込まれ、
さらに1899年(明治32年)制定の
「国有林野法」に引き継がれ、
営林法令の礎となっている。」
伊東さん、凄いですね!
現代に繋がる
法律の基礎を作っているとは。
飫肥藩主、伊東氏の
隠れた功績かも知れません。
しあわせ杉
前編で紹介した「通行手形」、
便利なので再登場です(笑)
これから、
本丸左の幅広の石段を進み、
門跡を通って枡形へ、
その後、旧本丸へと攻め上ります。
登城口の両脇には飫肥杉が
出迎えてくれています。
石段で先へ。
門の跡が残っていて、
この先は枡形、
ここでも鉄壁の防御態勢が
敷かれています。
枡形の中には4本の
飫肥杉がそびえていて、
これらは「しあわせ杉」と
名付けられていて、
案内も表示されています。
「しあわせ杉」
「4つの角にある4本の杉
対角線上の中心に立つと
幸せパワーがもらえます」
なるほど~!
というわけでやってみました(笑)
しあわせ杉(過ぎ)になったか?(笑)
旧本丸
飫肥杉にパワーを貰って、
元気百倍、
あとは旧本丸を攻め落とすだけ。
ここでも四方からの攻撃を
まともに受けてしまいます(汗)
本来なら討ち死にしているでしょう。
旧本丸跡の案内。
飫肥杉林という副題もつくほど
立派な杉林なんでしょうね。
そして、連続テレビ小説「わかば」の
舞台地ということですが、
僕は全くこの番組を知りません(汗)
桜満開の下、旧本丸へ。
案内板。
一部を抜粋・要約すると
「元禄六年(1693)に
現在の本丸
(飫肥小学校グラウンド)が
完成するまでは旧本丸が
藩主の御殿であった。
旧本丸は三度の地震で、
地割れが発生し、
移転することになった」
このようになります。
石段。
石段で上へ。
石垣も素晴らしい。
石垣の積み方は、打込み接ぎ、
角の仕上げは算木積みと
高度な技術を駆使して
築城されています。
ここも枡形ですね。
門の礎石でしょうか?
ここを登れば旧本丸です。
飫肥杉林だ~(笑)
枡形を旧本丸側から撮影。
もう一枚。
旧本丸=飫肥杉林といっても
過言ではないかな(笑)
藩主伊東氏に敬意を表して
飫肥杉バックにツーショット。
縦位置でも飫肥杉を撮影。
妻の好みの老木を発見。
別角度だと
二本になっているのがわかります。
もう一本の老木。
何だかここは土塁っぽいですね。
やはり土塁もあったのかな?
それとも天守台的な盛り土なのか?
飫肥杉林に感動し、
動画でも撮影。
不思議なもの発見
旧本丸から
北の丸方面へ抜ける門の先は、
すぐ学校の校庭となっています。
城内から見た学校。
この門を背にして、
旧本丸側を見ると・・・
石段を登った右側に、
石で出来た、
大きな構造物があります。
妻の身長が159cmなので、
180cmくらいはあるでしょうか。
僕の身長よりも高いので、
手を伸ばして天辺を撮影してみました。
説明などはありませんが、
手水鉢でしょうか?
いや、こんな高さで、
お手水ができるならば
身長は3m必要です(笑)
それに、何故ここに
こんな巨大なものがあるのか?
謎は尽きませんが、
これにて旧本丸は無事攻略です(笑)
本日の気になる鐘楼
飫肥城に着いた時から、
気になっていた鐘楼、
やはり帰りにも気になっていたので、
再度近づいてみました。
櫓台の上に見える鐘楼は、
本丸内にあるのですが、
現在は学校の敷地なので、
進入禁止。
ズームして撮影すると
「由来」という文字が、
かすかにわかりますが、
その内容は読めません。
妻は、
「日出(ひじ)城跡の学校にあった
鐘楼と同じようなものかな?」
なんて言っていましたので、
そうかも知れませんが、
こちらも旧本丸の
巨大石構造物と同じく、
未だに謎です。