お菓子の壽城(鳥取県米子市)

 

楽しい所に人は来る

明治初期、

米子城の天守は売却され

風呂屋の薪として、

その最後を遂げたそうです。

こちらは以前訪問時に撮影した

米子城の天守台。

この後、

米子城近くの山陰歴史館では、

天守の模型も見ました。

天守模型。

そして、

米子城の天守を模して建てられたのが、

お菓子の壽城の「天守」です。

まさに天守!

模型と比べても入母屋破風、

唐破風の配置など

そっくりに出来ていますね!

僕たちが、

お菓子の壽城に足を運んだのは、

この天守を体験して大いに楽しむため。

決して、お菓子を買う「だけ」が、

目的ではなかったのです。

「楽しい所に人は来る」。

僕たちも例外ではありませんでした(笑)

お菓子の壽城へ

大神山神社本社から車で向かうと

田園風景の中に突如として現れるのが、

お菓子の壽城です。

お~!!スゴイ!

まるで、天守と本丸御殿のようです。

さらに接近。

櫓風の看板。

こちらが正面玄関前。

お菓子屋さんとは思えない、

この景観、たまらんですね!

天守

お菓子は完全スルーして(笑)

早速天守最上階を目指します。

「お菓子の壽城」と「米子城」の関係。

その内容は、

「お菓子の壽城は寿製菓創業者

河越庄市の

米子を「愛され活気を与えるシンボルを」

という強い願いを込めて平成五年、

天守閣を持つ近世風城郭として名をはせた

米子城をモデルに築城されました。

秀峰・大山を背景に

栄華を誇った当時を偲ばせてくれます。」

このように書かれています。

確かにお陰で、

僕も米子を愛してしまいました(笑)

登城記念の一枚。

この絵を書いた人、

間違いなく彦根城と

ひこにゃんを意識していると思います(笑)

案内。

四階の展示室。

「米子城ロマン」と銘打った、

米子城の歴史が案内されています。

これがかなり秀逸で、

思わず読みふけってしまいました。

吉川広家が手掛けた米子城、

完成させたのは中村一忠。

しかし数年後

20歳で中村一忠は亡くなり、

断絶後、米子城には加藤貞泰が入る

加藤貞泰は伊予大洲に転封、

その後、米子藩はなくなり

伯耆国主、池田氏が治め、

城代として荒尾氏が配置される。

荒尾氏が幕末まで城代として続く。

米子城の絵図。

最上階へは螺旋階段を使用。

ついに来ました天守最上階。

ツイてる鐘。

喚鐘を撞く妻。

これで、「ツイてる女」になったかな(笑)

東の景色。

実際に撮影。

南側。

大山、なんとか見えてます。

北側の景色。

美保関はわかりますね。

西側。

出雲大社などは見えませんが、

なかなか爽快な景色です。

この後、ようやくお菓子を買って

お菓子の壽城の攻略は完了(笑)

今日の注目

ここ、お菓子だけでなく、

おつまみ系もたくさんあります。

そんな中で、気になったのが、

こんな天ぷらです。

これ、うちわのようですが、

実は違います。

天ぷらが準備出来るまでの番号札です。

こんな所にも遊び心満載で、

最後の最後まで、

楽しませていただきました!

 

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