安長寺のオオクス(福岡県朝倉市甘木)

 

きっかけは須賀神社

今は何でもネットで調べられる

便利な時代なので、

訪問したい巨樹を調べれば、

足を運ばなくても写真も見られるし、

動画もたくさんあるので、

知識は簡単に得られ、

何となく行った気分にもなれます。

それでも実際に行くと知識以外の

プラスアルファーが多く待っています。

今回、安長寺に行ったのは、

同じ町内に鎮座する須賀神社のオオクス

安長寺のオオクスが「夫婦樟」と

呼ばれているというお話からでした。

夫婦樟とはどんなものか

ただ見たかったから(笑)

ところが実際に訪問すると

オオクス以外にも

大いに興味をそそられるものを

発見し、感動したのでした。

安長寺へ

須賀神社から車でほんの3分ほどで、

安長寺に到着します。

お寺の名前とともに

「甘木發祥之古刹」

(あまぎはっしょうのこさつ)

と刻まれています。

古刹とは、古いお寺という意味なので、

甘木の町が出来た中心が

この安長寺だという意味です。

石灯籠と石畳が

整然並び、山門の奥には、

地蔵堂が見えます。

山門に掲げられた「甘木山」の額。

何度か興廃はあったものの

ここを中心として

甘木市が発展したことは、

「甘木市は、この安長寺の門前町から

発展した町で、久遠の計を恵まん為、

物品交易の市を開いた正月の初市に

始まり、市の日が町名として

二日町、四日町、七日町、八日町等

現在残っている」

このように書いてあることで

よくわかります。

檀家だけのお寺ではなく

村民(当時は村なので)の多くと

交流の場を作っていたのでしょう。

古い石垣の上に立つ鐘楼。

ネット調べだとこの梵鐘は

戦時供出で溶かされてしまった

先代の後をついで、

再興されたものだそうです。

地蔵堂の背後に見える巨大な樟。

お寺を守っているようです。

まずは、参拝。

そして、

とても気になるものを発見。

お寺なのに狛犬です!

吽形の鼻は完全なブタ鼻(笑)

台座には「氏子中」と

刻まれているので、

神社の氏子さんが、

奉納したものでしょうか?

しかしここはお寺です…

そう不思議に思っていると

さらに不思議なものを発見!

お寺なのに神社と

同じ配置のような造りなのです!

右から、拝殿、幣殿、本殿?

元は神社として建てられたのでしょうか?

ネットで調べても

分かりませんでしたが、

神仏習合なのか、何なのか、

いまだに謎です。

う〜ん気になる!

本殿裏の、

いや、地蔵堂裏の(笑)

オオクスへ向かいます。

須賀神社の樟と夫婦だという

ロマン溢れる話が書いてあります。

大きさの比較。

天正十四年(1586年)

島津軍が太宰府の岩屋城を

攻める時、ここ甘木にも侵入、

放火された際に、この樟も

こんなに焼かれたそうです。

もう一枚大きさ比較写真と動画を撮影。

高さもかなりありますね。

その後は、境内を巡ります。

観音様。

摂社?お寺なので、

何と呼べばよいのか…

三重の石塔と稲荷神社。

いや、稲荷寺?

何かは不明な境内寺。

石積みの古さからして、

江戸時代のものでしょうか。

そして、ここで

大注目なのがこちらです。

聖徳太子を祀った太子堂。

古そうな建物の中を覗いてみたら、

あ〜凄いもの発見!!

寄木細工が精巧なお堂です!!

外観の建物は「覆屋」の

役割のものだったのです。

こんなものがここにあるとは、

全く予想もしていませんでした。

この中に聖徳太子が安置されて

いるのでしょうか。

素晴らしい造りに、

ため息がでます。

痛みが随所に見られて、

放っておくのが悲しいほどです。

こんな素晴らしいものが、

いつ頃出来たものかは

分かりませんが、

これは間違い無く文化財ですよ。

今のうちに修復し、

何らかの手を打って、

文化財としての保護が

必要ですよ!!

今は覆屋があるとは言え、

風雨にもさらされ、

野ざらしなのですから。

最後に太子堂で感動しまくって

僕はオオクスを、

置き去りにしていました(笑)

思い出したらツーショット(笑)

安長寺は、まだまだ

奥が深〜いお寺です。

最後に早く太子堂の

文化財としての保護が

されること心から祈っております。

 

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