恐山菩提寺(青森県むつ市)三途の川

 

円通寺

山形県の立石寺りっしゃくじ(山寺)

岩手県の中尊寺毛越寺

宮城県の瑞巌寺など

東北の名刹を創建した

比叡山延暦寺の三代天台座主、

慈覚大師円仁

ここ青森、恐山菩提寺の開基も

また円仁さんです。

パンフレットにも

「慈覚大師円仁開基」の文字が、

燦然と輝いていますね!

また、

「本坊 曹洞宗円通寺」と記され、

このお寺の本坊があるのは、

僕たちがむつ市内で訪問した、

旧斗南藩史跡地の円通寺なのです。

円通寺では、

境内に建つ、戊辰戦争で亡くなった

多くの会津藩士の御霊の拠り所、

「招魂之碑」にも参拝しましたが、

ここで改めて考えると

斗南藩の藩庁を

円通寺に置いた理由として、

もしかしたら恐山という

日本屈指の霊場を持つ円通寺にいて、

戊辰戦争で亡くなった

藩士達の霊達と寄り添い、

常日頃から慰霊するのが、

重要な目的だったのかと

思ったりもします・・・

極楽か地獄か・・

恐山菩提寺に行くには、

まず、「三途の川」を

渡らねばなりません。

パンフレットの鳥瞰図では、

右下の太鼓橋あたりが、

三途の川と呼ばれる場所です。

こちらは「極楽」を象徴する

宇曽利湖(うそりこ)。

(三途の川の手前から撮影)

Googleアースで見た宇曽利湖。

パンフレットには、

「この地は、

宇曽利湖を中心に八峰がめぐり、

その形あたかも花開く

蓮華の形にたとえられます」

このように記されています。

さらに宇曽利湖の形、

ハート型にも見えますので、

ホント縁起良さげですね!

三途の川の手前に待ち構えるのは、

奪衣婆だつえば懸衣翁けんねおう」のお二方です。

案内には、

「中国由来の経典「十王経」には、

死後の世界の話が記されています。

それによりますと、

人が亡くなって三途の川まてやってくると、

そこに「奪衣婆」が待ち構えていて、

身くるみはがしてしまうのだそうてす。

その衣類を「懸衣翁」が受け取って、

かたわらの柳(衣領樹)の技に懸け、

その枝の垂れ具合で

生前の悪業の軽重を推量します。

この後、間魔様などの前に出て、

地獄か極楽が、どこに行くのか

言い渡されるということです。

日本では江戸時代末に

民間で、信仰されました。」

このように書かれています。

奪衣婆さんには、

時々お目にかかりますが、

懸衣翁さんはお初です(笑)

「恐山 太鼓橋

石造り太鼓橋大勧募中」の看板。

太鼓橋は老朽化で渡れませんが、

「三途川」の標柱とともに、

雰囲気出してくれています。

賽の河原的なものか?

この太鼓橋の曲がり方と、

渋い塗料の剥げ具合、

三途の川にマッチしてて、

素敵じゃないですか!

三途の川&太鼓橋&宇曽利湖。

六地蔵

三途の川を無事通過し、

お寺の駐車場に到着。

ここはお地蔵様がご本尊のお寺という事で

まずは、

奥に見える大きなお地蔵様へ。

六地蔵に参拝。

郷愁を呼ぶ風車・・・。

大きさの比較で妻登場。

お地蔵様達の背中姿も

何故かありがたい・・・。

総門

ここからは有料ゾーンです。

入山料を納め、柵内へ。

総門と案内板。

案内を一部抜粋すると、

「当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、

奥の院地蔵山不動明王、

奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が

一直線上に奉納され三者が一体であることを

意味しております。」

このように書かれ、

三箇所を全て参拝して、

コンプリート(結願)となるそうです。

総門横の石像に参拝。

この後、総門から山門へと向かいます。

(続く)

 

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