滋賀院門跡(滋賀県大津市)

 

107歳まで生きた

徳川家康の神としての名前を

「東照大権現」に決めたのが、

天海(てんかい)というお坊さんで、

この方今から400年も前に、

107歳という長寿を全うしています。

そして、その廟所が滋賀院門跡の

境内にあります。

しかし、何故こそんな場所が、

明智光秀の大博覧会と

関係あるのかと言えば、

山崎の合戦後、

光秀は京都の小栗栖において、

農民の竹槍で殺されたのではなく、

生き延びて、名を天海と変え、

江戸幕府の中枢として

徳川家康を補佐したという

フィクションが存在するからでしょう。

源義経が日本を逃れ、

ジンギスカンになったという

物語と同じ類のものですね。

滋賀院門跡へ

西教寺を堪能した後は、

滋賀院門跡へと向かいます。

駐車場からは、裏口からが近道。

本坊へ。

案内には、

「元和元年(1615年)、

慈眼大師天海が、後陽成上皇より

法勝寺を下賜され

この地に移築されたもので

明暦元年(1655年)後水尾天皇より

滋賀院の号と寺領一千石を賜り

江戸時代の末までは天台座主であった

法親王が代々住まっておられた寺である」

このように書かれています。

この後、拝観しましたが、

一部を除き撮影禁止なので、

写真はあまりありません。

蹴鞠の庭。

借景。

琵琶湖の対岸に見える

近江富士と呼ばれる三上山。

なんとか(笑)見えていますね!

小堀遠州作の名勝庭園。

クイズまであります(笑)

正面。

手前の石が、案内にある

「船着石は、池にせりだす

覗(のぞき)石方式」でしょう。

見事な配置です(多分・・笑)

滝。

僕が一番気に入ったのがこの石橋。

「中央に豪華な切石で橋を架け

南北に細長い庭を引き締めている」

まさに案内通りですね!

勅使門

本坊の正面に建つのが勅使門です。

中側から撮影。

外側から撮影。

両サイドは穴太衆が積んだ石垣。

慈眼堂へ

次に天海の廟所、慈眼堂へ。

山門をくぐって再度境内へ。

稲荷社。

慈眼堂に上る参道の左右にも

神社が配置されています。

慈眼堂前庭。

燈籠は江戸時代前期の古いものです。

案内には、

「慈眼大師南光坊天海大僧正の廟である。

徳川家康・秀忠・家光三代将軍に

幕府の顧問として遇され元亀の兵火で

全山焼土と化した

比叡山の復興に尽力した。

寛永二十年家光の命により建立された。

慶安元年大師号の宣下を受ける」

こう書かれていて、

天海を顕彰する施設とも言えますね。

慈眼堂のすぐ横には、

立派なお墓や供養塔があります。

正面に見えるのは桓武天皇の御骨塔。

手前は慈眼大師(天海)の供養塔。

後ろの石仏は戦国時代のものだと

Wikipediaには書かれています。

ここには、他に、

後陽成天皇、後水尾天皇、

徳川家康、清少納言、紫式部、

新田義貞などの供養塔と、

歴代天台座主の墓があります。

今日の注目

不滅の法灯に注目。

延暦寺のものを持ってきた

「本物」ですよ!

1200年以上も

灯し続けられている灯火。

天海さんの107歳と

どちらが凄いのか?

どっちもですね(笑)

 

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