西教寺(滋賀県大津市)後編

 

芭蕉の句

松尾芭蕉の句碑というのは、

全国至るところに建っていて、

それは芭蕉が旅した場所とは

全く無関係に存在しています。

正直、僕は「どこでも芭蕉」が、

少々うんざりしていて、

正直あまり見てもいません。

ところが、

ここで出会った芭蕉の句には、

深い感銘を受けたのです。

「どこでも芭蕉」も

たまにはいいかも?(笑)

本堂へ

先に本堂内でお参りしたので、

次は外観の散策です。

鐘楼。

梵鐘は国指定重要文化財で、

別の場所に保管されているそうです。

鐘楼の向かいには、

本堂側面が見えています。

手水舎。

本堂。

お寺のサイトによると、

「総欅入母屋造。

江戸時代 元文4年

(1739)に上棟落成。

用材は紀州徳川家からの寄進」

このように書かれています。

本堂内部は既に拝観し、

参拝も終えていますので、

ここでは、外観の撮影のみ。

西教寺でのツーショットは、

ここで完了。

お墓など

次に見所の一つお墓へ。

「戦国武将に仕えた人達の墓」の案内。

やはりこれがメイン(笑)

明智光秀辞世の句。

55歳で亡くなったのか・・・

信長よりも6歳位年上だったんだ・・・。

明智光秀と明智一族の墓にお参り。

お墓の案内。

山崎の合戦後、光秀は一族とともに

ここに葬られたと書かれています。

次に光秀の妻煕子の墓へ。

墓の案内。

この中には、芭蕉の句について

書かれています。

「江戸時代、松尾芭蕉が詠んだ

唯一女性に対する句が、

「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」で、

これは芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、

煕子が髪を売って

光秀を助けたという逸話を

越前(福井県)丸岡で耳にしたものを

俳句にして門弟の妻に贈ったもの」

超訳すればこんな感じです。

丸岡といえば、その近くには

光秀が煕子と暮らした

一乗谷城があります。

やはり朝倉義景に

庇護されていた光秀に対し、

越前の人々は、格別な思いがあり、

ただの逆臣ではなかったようですね。

そして、このすぐそばには、

芭蕉の句碑もあったのですが、

撮り忘れています(汗)

やはり冒頭に書いた、

「どこでも芭蕉」アレルギーだったかも?

玉子(細川ガラシャ)の

母でもある煕子の墓にお参り。

供養塔。

「宗祖 真盛上人 御廟」の案内。

西教寺中興の祖と言われる方の廟が

階段を登った上にあります・・・

う~ん、長い。

今回はここから参拝(汗)

勅使門

お墓の後は再度建築物へ。

石段を降りて左が勅使門、

その先の右側に唐門を有する

宗祖大師殿があります。

まるでお城の石垣。

これも地元の穴太衆が積んだのでしょう。

勅使門中側。

中側の正面。

表正面。

宗祖大師殿

ここでのお目当ては、唐門です。

正面外から。

なにげに眺めると、

阿吽の麒麟が

彫られているではないですか!

明智光秀と関係が深い

西教寺の唐門に麒麟がいるとは、

何だか驚くべき偶然です。

大河ドラマ「麒麟がくる」の作者は

これを知ってて題名を決めたのか?(笑)

そして、西教寺で忘れてはいけないのが、

こちらの方々・・・。

屋根瓦には護猿(ござる)。

「まあ、まあ、」

なんて言ってるのかな?

内側から撮影。

唐門から見える琵琶湖。

内側の唐門斜め前から。

ようやく大師殿に参拝。

大師殿向かって右側の門。

こちらも素晴らしい檜皮葺。

ここまでで、西教寺参拝は完了です。

気になる寺紋

唐門と横の門で見つけたこの寺紋。

かなり気になりました~(笑)

雀が三羽。

一匹だけは頭が見えていて、

左右の二羽は阿吽になっています。

調べると天台真盛宗の

「三羽雀」という寺紋でした。

 

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