志摩歴史資料館・玄界航空基地の案内
油断最適
戦争末期、
福岡県北部の糸島に創設されたのが、
水上機のみで編成された、
玄界航空基地です。
その頃の日本は、
東南アジアの石油供給地と
完全に遮断され、
国内へは一切石油が入って来ない状態で、
もはや精神力のみが、
戦う術という絶望的状況で、
松根油(松の木から絞る油)までもが
航空燃料の代用として
実験もされていました。
今思えば、
ただの破れかぶれですが、
当時の人たちは必死で
松の油を絞った事でしょう。
そんな「大切な家族を守る」という
何者にも変え難い思いがあったからこそ、
今の日本があるのは間違いない事で、
心から敬意を払うのは当然ですが、
いくら精神力があったとしても
「油」が断たれてしまえば、
やはり戦えません・・
そう、
まさに「油断大敵」なのです。
そんな「油断」に遭遇したのが、
たまたま今回利用したレンタカーでした。

車を借りて6Kmほど走った頃、
たまたま燃料計を見ると、
何と、半分以下じゃありませんか!
レンタカーを貸し借りする時の掟、
「ガソリン満タン」じゃないのです(汗)
スタート時に確認していなかったのは、
僕の「油断」でしたが、
このまま使う訳にも行かず、
まずはお店に電話してみました。
すると、
「大変申し訳ありません!
返却時のガソリンは入れなくていいですから
そのままお使い下さい」
こんなお返事が!
何と、この日のガソリン代は、
「タダ」になったのです。
「油断」してくれたお店には、
ちょっと気の毒だとは思いつつ
僕たちにとっては、
「油断最適」となった(笑)
糸島ドライブでした。
志摩歴史資料館
前世が特攻隊員だった妻から(笑)
「玄界航空基地に行ってみたい」
そう言われたものの、
どんな遺構があるのかも
よく知らないので、
まずは玄界航空基地の「案内展示」がある
志摩歴史資料館へ。

志摩歴史資料館正面。
左端の青い車が冒頭に書いた
「油断最適のレンタカー」です(笑)

ブログでは企画展の野村望東尼伝を
先にアップしていますが、
ここで唯一の目的は、
玄界航空基地のことを知る事。
なので、
2階にある多くの展示は、
全く見ていません。
パンフレット
見ていないものが、
パンフレットに載っているので、
ちょっと紹介します。

墓制コーナーのガイコツ、
気になるな〜(笑)

常設展示は「海」を柱としての展示です。
玄界航空基地の案内
まずは展示解説シート、
「玄界航空基地
ー水上爆撃機「瑞雲」の秘匿基地ー」
この中から文章を
抜粋・要約していきます。
但し、1ページ目だけは、
玄界航空基地の「肝」の部分なので、
全文を書き出しています。

【大戦末期に突如あらわれた秘匿基地】
「玄界航空基地は、太平洋戦争も末期となる
昭和20年(1945)の春頃から、
福岡県糸島郡小富士村の船越地区
(現在の糸島市志摩船越)を中心に
展開されていた日本海軍の秘匿基地です。
航空基地とはいっても、
フロート(浮舟)を備えた
水上機の基地でしたから、
滑走路などは建設されず、
波穏やかな内湾と砂嘴の砂浜、松原など
自然の地形がそのまま活かされました。
また、船越周辺の集落にある
民家、旅館、寺社などが基地の施設として
借り上げられ、
新設されたのは兵員用の
烹炊所(調理場)や食糧庫、
病舎、木製の見張り台くらいのものでした。
基地の入り口には歩哨が立っているだけで、
隊門といったようなものはなく、
まさに集落に溶け込むように
設置された秘匿基地だったのです。」
【第643海軍航空隊の本部となる】
「玄界航空基地は当初、
「西海空小富士基地」として設置され、
最初に駐留していたのは
第801海軍航空隊に所属していた
偵察302飛行隊(以下偵302)でした。
偵302は、
水上偵察機「瑞雲」を主力とし、
「零式水上偵察機」も
連絡・哨戒用として使用していました。
その後、5月になると、
台湾から「634空」と「偵301空」が、
新たな拠点として
小富士基地に移転してきました。
634空は、ここに本部を設置するとき、
先に駐留していた
偵302をも指揮下に置きました。
西海空小富士基地は、この頃に
「玄界航空基地」へと改称したようです。
【「水爆」と呼ばれた水上偵察機「瑞雲」】
「634空や偵302が
主力としていた瑞雲は、
フロート付きの水上偵察機でありながらも、
急降下爆撃を行えるという
世界にも類をみない「水上爆撃機」でした。
操縦士と偵察員が搭乗する2人乗りで、
フロート支柱には、
急降下時の速度を60Kg爆弾2発
あるいは
250Kg爆弾1発を装備できました。
また、主翼には20mm固定銃が2門、
偵察席には13mm旋回銃、
更には空戦用の二重フラップまで
備えるという重武装で、
海軍内では「水爆(水上爆撃機の略)」の
異名で呼ばれていました。」

【施設の配置】
玄界航空基地は当初、
小富士村内の船越、久家、香月の
各地区に展開され、
ここに本部や指揮所をはじめ、
整備科、主計科、通信科などの
主要施設が置かれます。
指揮所のテントは
船越の納骨堂南側に置かれ、
西側には見張り台が建てられました。
瑞雲の駐機場は、
船越と、加布里湾をはさんだ
対岸の深江村松末にも設置されたため、
基地全体で20機以上の収容が可能でした。
駐機場は、
海中まで引き込んだレールに台車を置き、
それに水上機を載せて
地上に引き上げるというものでした。」
【沖縄戦における瑞雲隊の役割】
「643空ら瑞雲隊は、
特攻隊の編成を拒否していた部隊でした。
「特攻機は一機一艦だが、今の我々には
一機一艦では駄目である。
一機で数艦、何度でも帰ってきて、
何度でも攻撃するのだ」というのが、
634空江村司令の方針でしたから、
瑞雲隊は、玄界航空基地から
沖縄周辺の敵艦艇への
反復攻撃を実施することとなります。
攻撃は、敵の視認を避けるため
夜間に行われました。
しかし、米軍には、
暗闇であっても敵を探知できる
レーダー搭載の夜間戦闘機があり、
多くの瑞雲が出撃したまま
未帰還となっています。」

【本土決戦に備えた基地の増強と拡張】
「沖縄戦が終息に向かう6月下旬、
来るべき本土決戦に備えた
航空戦力の増強を図るため、
偵302の水偵隊に対し、
零式水上偵察機を全機水上雷撃機に
改修する旨の指令を出します。
また、他地域の航空隊も集結し、
総数50機を超える
水上雷撃隊が誕生しました。
7月に入ると前進基地・桜島基地も合わせ、
100機を超す大所帯となったため、
島根県の宍道湖南岸に新たな
後方基地の建設も始まりました。」
【基地での暮らし】
「玄界航空基地の兵員は、
指揮官クラスを除けば、
その多くが10〜20代の若者たちでした。
中でも実務練習生は、
まだ14、15歳の
飛行予科練習生たちでした。
兵員は1千名以上いたとみられ、
基地となった集落の民家や
旅館などに分宿していました。
海軍から支給される食事の量は少なく、
みかねた寄宿先の家人から食べ物を
差し入れられることもありました。」

【終戦と記念碑建立】
「8月15日の終戦を受け、
634空では18日、
搭乗員全員に帰郷するように
命令が下ります、
22日には正式な解散となり、
基地の兵員たちも
それぞれ故郷へ帰っていきました。
その際に、
基地本部所管の文書類は全て焼却され、
また秘匿基地という性格上、
地元住民にもその任務は
極秘とされていたため、
戦後長らくは基地の実態はおろか、
正式な名称すらもわからないままでした。
しかし、終戦から57年経った
平成14年(2002)7月、
元634空・瑞雲の
偵察員であった梶山治氏が、
その当時を回想した著書
「瑞雲飛翔」を志摩町に寄贈したことから、
当時志摩町議会員であった
中田健吉氏(船越在住)らが調査を開始。
当時を知る多くの関係者の
証言や資料を集めるなどして、
玄界航空基地の実像を
明らかにしていきました。
そして、
平成15年(2003)8月には、
地元有志と元玄界航空基地の
関係者らにより、
かつて指揮所のあった船越の納骨堂横に
「海軍航空隊玄界基地之跡」記念碑が
建立されました。」
展示
展示スペースは小さいながら、
詳しい解説書のお陰もあって、
スペース以上の情報をいただきました。

展示コーナー。

案内。

施設配置図と瑞雲。
海軍最後の戦闘機とも言われた
「紫電改」に装備されてたのと同じく
「空戦フラップ」が付いていたのには、
驚きですね。
フロート付きというハンデを
どれほど克服できたのかは不明ですが、
勝つためには何でもやるという姿勢には、
心打たれるものがあります・・

航空爆弾の一部。

鉄釜。

「零式水上偵察機 機体パネル」
「日本海軍が昭和15年に採用した水上機
玄界基地には50機以上が配備されていた」
このように書かれています。

機体パネル。
そして、施設のご案内として
次の二つが紹介されています。

鹿児島県南さつま市の
万世特攻平和記念館。
以前から行きたいと思いつつも
まだ行けていない記念館です・・
ここには海から引き上げられた、
零式水上偵察機が展示されていて、
もしかすると、
この機体は、玄界航空基地所属の
一機だったかも知れませんね。

福岡県の大刀洗平和記念館。
この近くで起きた空襲での悲劇、
「頓田の森」にお参りしたのが、
今も忘れられません。
今日の感動
展示パネルの横側が、
チラッと目に入りました。

なんと、展示枠などは
全部段ボールで手作りなんですね!
いや〜これには感動しました。
志摩歴史資料館の学芸員さん、
職員さん、素晴らしい!

感動後の二人(笑)
志摩歴史資料館さん、
本当にお世話になりました!
この後は、
いよいよ玄界航空基地の
遺構へと向かいます。