島原城(長崎県島原市)前編

 

歴史を知る楽しみ

大村駅から諫早駅まではJR、

そこからはいよいよ島原鉄道で、

ひたすら海岸線を走る旅です。

その思い出を書くために

島原鉄道のサイトをのぞいてみて

ビックリな事を知りました!

なんと、1872年(明治5年)、

日本初の鉄道である

新橋〜横浜間を走った1号機関車の

最後の活躍場所は島原鉄道だったのです。

あの「汽笛一声新橋を〜♪

はや我汽車は離れたり〜♪」

の鉄道唱歌で有名なあの汽車なんですよ!

1911年(明治44年)鉄道院から

島原鉄道に払い下げられたそうです。

日本各地には多くの鉄道が

出来つつあった明治時代に、

1号機関車が島原鉄道を走ったのは

奇跡みたいなものです。

現在、その1号機関車は

国指定重要文化財となり

さいたま市の鉄道博物館にあります。

まさかの展開に興奮し、

今度は埼玉県に旅したくなりました(笑)

島原城へ

諫早駅からの島原鉄道は、

海岸の景色が楽しめる

進行方向左側の座席を確保。

有明海の海岸。

海岸線のすぐそばを走ると

何でこんなにワクワクするんでしょう。

まるで子供みたいに景色を楽しんでいたら

あっという間に島原駅に到着です。

僕たちはこの車両に乗って来ました。

島原駅の駅長さんは、

「さっちゃん」

ふくよかな鯉です。

島原駅。

お城というか、櫓というか、

気合十分のデザインですね。

そして、

駅を出て、島原城に向かう途中、

いきなり目に飛び込んできたのが、

このポスター。

島原コスプレの乱 秋の陣。

島原の乱のメインキャスト、

天草四郎も驚きのイベントです(笑)

相撲の雷電為右衛門も

雲仙(島原の山側)に来ていました。

島原大変で津波を受け止めた石垣。

島原大変とは、

島原大変肥後迷惑

(しまばらたいへんひごめいわく)

と言われた江戸時代中期、

島原で起きた地震の事です。

この時、山が崩壊し海になだれ込み

それが原因で島原(肥前)も、

対岸の天草(肥後)も大津波に襲われ、

死者15000人ほどの

被害が出た震災のことです。

やはり、路上にも説明があると

散策する楽しみも倍増しますね。

島原観光案内図

島原城の堀を挟んだ向かいには、

武家屋敷、佐久間邸跡が残されています。

屋敷の跡。

その前には

島原城の南側の堀があります。

石垣が綺麗に残っていますね。

堀の中に ある小川。

するとそこにいたのは、

鮮やかな色が美しいカワセミです。

素早い動きのカワセミを

何とかズームで捉えて撮影成功!

やっぱりカワセミって、

美しいしカッコいいな〜!

堀の中を流れる小川。

この辺りには廊下橋という

二の丸と本丸を繋ぐ

唯一の橋がありました。

従ってこの橋を落とせば、

本丸への侵入は出来なくなります。

そんなアイディアも

平和な江戸時代には

使われる事は無かったようですが(笑)

鏡石。

城主の権威を見せつけるために置いた

大きな石のことです。

鏡石は表面だけがバカでかく、

平べったいものも多かったとか。

見栄の権化みたいなものか?(笑)

大きさの比較写真。

鏡石の案内。

これは本当に厚さ大きさ共に

大石ですね!

ここから少し行くと天守が見えてきます。

復元天守。

破風(はふ)がないシンプルなデザイン。

ずっと雲っていたのに

ここでは急に青空に変わって、

かなりラッキーでした!

天守の中に入ると、

色々な展示もあります。

島原半島自体が火山ですね。

江戸時代の島原城の絵。

Wikipediaも参考に書くと

この城を作ったのは、

松倉重政(まつくら しげまさ)。

この方、島原に転封となる前は、

関ヶ原で軍功があった事により

奈良県の大和五条藩1万石の大名となり

そこでは、善政を敷き、

商業町の五条藩を作り上げ

町の功労者として、顕彰碑までが

建立されています。

ところが島原に来てからは

真逆の藩政をしています。

この頃はめっぽう見栄っ張りで、

4万石の身分に不相応な

巨大な城を作ったことや

幕府を「よいしょ」する為に

湯水のごとくお金を使った事で、

その費用を捻出するために

領民から過酷な搾取を続け

年貢を納めないものやキリシタンを

虐殺しまくったようで、

島原の乱を誘発した張本人となったのです。

奈良では今でも尊敬される善人、

長崎では今もなお嫌われる悪人。

但し人の評価なんて、一面でしかないもの。

善悪でひとまとめにしている事自体が

問題なのかもしれませんね。

その島原の乱について

興味深い案内がありました。

島原の乱の年表と、

参加、不参加の集落。

これは、めっちゃ分かりやすいですね!

北側は、不参加、南側は参加と

はっきり別れています。

島原の乱の参加者は皆殺しにされたので、

南側の集落には人がいなくなったかもと

心配になりました。

今、住んでいる人は、

移住者かも知れません?(勝手な推測)

天守最上階から有明海側の景色。

東北方面。

雲仙方面。

そして、天守で、

目を奪われたのがこちら。

これは、凄い現象です!

夜空に島原城が浮かび上がる、

その名も「キャッスル モンスター」

キャッスル モンスターの説明。

是非、体験してみたいものです!

そして、ここからは二人の世界(笑)

ツーショットのオンパレードです。

天守最上階でのツーショット。

天守前でもツーショット。

おもてなし隊(そんな名前だったような)の

人が親切に「お撮りしましょうか」

と声をかけてくれたので、

全身のツーショットまでも撮影。

あ〜いい記念になったな〜!(笑)

今日の不思議

武家屋敷、佐久間邸跡の前で見つけた石。

顔にも見えるし

何のための石なんでしょうか?

 

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