新宮城(2019年夏旅)

 

二人旅の中の一人旅

暑さで、妻の体力が奪われ

新宮城の散策中、妻は車で休憩。

この後巡る最後の難関(笑)

神倉神社までの500段ある

石段登りに備えての事です。

二人旅の中での一人旅(笑)

これも旅を楽しくする一つの

コツみたいなものかも知れませんね。

新宮城へ

新宮市内での散策場所は、

そのどれもが車で10分程度もあれば

十分行き来が可能であり

効率よく観光をするには

もってこいの町と言えます。

そのお蔭で、この日朝から二箇所も

予定外の訪問をしたにも関わらず

全ての「予定内」の場所に行け

大満足の一日でした。

ということで、

阿須賀神社から車で、

たったの3分(笑)

新宮城に到着です。

新宮城跡は、公園になっていて、

「丹鶴城公園」という名で

案内板に出ています。

新宮城は別名、

丹鶴城と呼ばれていた事から

この公園の名前になったのでしょう。

案内板前の駐車場に車を停め、

妻を残し(笑)一人散策を開始。

早速見つけた城主の

権力の象徴である石垣の大石。

駐車場から上の本丸を見上げると

石垣が何段にも重なっていて、

これからの散策に大きな期待を

寄せてしまいます。

公園化で造られた石段でしょうか?

ここからが本丸への近道となっています。

少し登ると見えてくるのが、この建物。

石垣の上見えたのは、

模擬櫓ならぬ

本物厠(トイレ)でした(笑)

想像以上に石垣などの

遺構が豊富に残っているので、

写真撮影に必死な僕(笑)

熊野川方面の本丸石垣(右)と

出丸石垣(左奥)。

下を見ると熊野川沿いに

水の手曲輪にある

船着き場などもしっかり

残っているようで、次回訪問時には

行ってみたい遺構の一つです。

・・・次回訪問っていつなんだ?(笑)

本丸。

本丸から東側の熊野灘を臨む。

熊野川河口方面の景色。

熊野川の真ん中が県境となっていて、

橋の向こうに見える対岸は、

三重県の町並みです。

本丸から見た出丸の石垣。

四隅のうち左上の角だけが、

他の三方と違って角を取った形に

造られているのは、鬼門封じ等の

意味などもあるのでしょう。

石垣。

搦手方面の枡形虎口。

下から撮影。

一国一城令の後、

1618年に再築城されたという

新宮城なので、石垣は、

切込み接(は)ぎの整然とした

並びが多いようです。

表の枡形。

櫓門があったのでしょうか。

すぐ横の井戸(跡?)

駐車場側の本丸石垣は

上部がかなり壊されています。

本丸の石碑

本丸にはいくつかの石碑があります。

「丹鶴姫之碑」。

丹鶴城の言われの元になった、

平安時代、源為朝と

熊野の別当の娘との間に出来た子が、

丹鶴姫というお話から丹鶴城と

呼ばれているそうですが、

この裏に書かれた石碑の案内を

読んでいませんので定かではありません。

丹鶴城跡で詠んだ

与謝野寛(鉄幹)の歌碑。

ここに来てたのか、鉄幹!(笑)

これで、一人旅を終え、

石垣下の妻の待つ車へ。

今日の注目

駐車場からの登城口にある看板。

新宮城復元プロジェクトの

懸賞金の総額、

なんと、1.700万円ですよ!

衝撃的では、ありませんか!

ある意味、新宮城での一番の

思い出は、これかも知れません(笑)

 

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