白髭神社(滋賀県高島市)

 

命懸けでも撮りたい鳥居?

テレビやネットで知っている白髭神社は、

「琵琶湖に浮かぶ赤い両部鳥居がシンボル」

そんなイメージでしたから

当然、湖に浮かぶ鳥居を撮影出来るものと

信じていました。

ところが、実際に訪問してみると、

鳥居を撮影するのは、命懸けなのです(笑)

神社境内と琵琶湖の間には、

スピードに乗った車が、

ひっきりなしに行き交っている国道があり

信号も無ければ、横断歩道もありません。

しかし、

それを越えないと、思い通りの撮影は

出来ないのです・・・。

もちろん神社さんも

「横断禁止」と注意喚起はしていますが、

命懸けで撮影に行く人は結構います。

もちろん僕たちは命が惜しいので、

あきらめました。

安全に鳥居を撮影したいならば、

神社からではなく、

別の場所からか、ドローンからしか

ないでしょう(笑)

御社殿

白髭神社を知ったのは随分昔、

でも、ここにある事を思い出したのは、

高島市の田中城に行く途中で

この神社を見つけたからです。

従って、今回の参拝は田中城と

田中城訪問の動機になった

明智光秀さんが、

ご縁を結んでくれたようなものですね。

素晴らしくわかり易い境内案内図。

社頭の鳥居。

この背後、一直線上に

湖面の鳥居があります。

手水舎。

手水舎横には、大正初年に

与謝野寛(鉄幹)、与謝野晶子夫妻が

白髭神社を参拝した時、

手水舎から湧き出る

清らかな水を詠んだ句碑があり、

上の句は寛、下の句は

晶子の作と書かれています。

拝殿で参拝。

本殿。

本殿の案内。

「慶長年間に豊臣秀頼により

境内の整備が行われ、

本殿は、同八年(1603年)

片桐且元を奉行として、

播州の大工により建立されたことが、

棟札、嵌板墨書によってわかる」

神社対岸の小谷城で育った片桐且元、

秀吉亡き後、豊臣家の

大黒柱的存在だったのに、

最後は秀頼や淀君から

謀反を疑われて、

家康についていますが、

この時は、まだその7年前。

片桐且元頑張ってたんだ~(笑)

本殿を一周。

左が本殿、右が明治12年建立の拝殿。

石段から撮ると

檜皮葺の屋根を堪能出来ます。

こちらは寛永元年(1624年)建立の

旧拝殿で、現在は絵馬殿となっています。

境内社

案内によると、境内の社殿の多くは、

慶長期に整備されたものだそうで、

そんな古いものばかりの境内社に

ワクワクしながら向かいます。

 

若宮神社。

案内には、

「桃山時代・こけら葺き」

と書かれ、慶長期のものかも

知れませんね。

石段で上の境内社へ。

石垣を見ると穴太衆を思い出すのは、

ここが滋賀県だからかな?(笑)

平安時代にお父さんの転勤で、

福井に行く途中、このあたりで

紫式部が詠んだ歌の歌碑。

外宮。

内宮。

三社。

左から高良神社、八幡神社、加茂神社。

案内はありませんが、こけら葺なので、

こちらも桃山時代のものでしょう。

奥に進むとまた鳥居が見えて来ます。

稲荷社。

天満宮。

左が寿老神、右が鳴子弁財天。

さらに奥へ進みます。

なんだか

パワースポット的な雰囲気が・・・

岩戸社。

岩戸社横の大石。

なにか感じる?

いや、

感じるしかないか~(笑)

社務所へ

境内社参拝を終えて、

社頭に戻ります。

境内から琵琶湖を臨む。

御朱印。

味のある素晴らしい文字に

テンション上がりますね!

御社殿前のツーショットで参拝完了。

今日の命懸けず(笑)

冒頭に書いた道路を渡らず、

命を懸けずにズームで撮った湖中鳥居。

両部鳥居とは分からないほど

真正面からの撮影ですね(汗)

しかし、ちょうどこの時

一羽の白鷺が鳥居を横切ったのは、

僕の残念感(笑)を

一気に吹き飛ばすエピソードでした!

(左の小さく見えるのが白鷺です)

 

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