聖衆来迎寺(滋賀県大津市)

 

森可成に呼ばれた?

旅の二日目、

田中城を散策した高島市では、

偶然にも、

中江藤樹の生まれ故郷&お墓が

ある場所と知り、

その関連史跡三箇所をめぐり、

おまけにこれまた予定外だった

白髭神社にまで参拝し、

僕たちに残された旅時間は

残りわずか5時間・・・

そんな事もあって、

当初予定していた聖衆来迎寺で

森可成(よしなり)のお墓に行くことは、

カットすることにして、坂本城跡へと

車を走らせていました。

ところが・・・

「あ!来迎寺って書いてある!」

妻の雄叫びにより、

急遽道路沿いにある

来迎寺駐車場へ突入(笑)

行かないと決めたのに、

引き込まれるとは・・・

昨日、森可成が城主をしていた

宇佐山城に登ったその御礼?に

森可成が呼んでくれたのかも(笑)

表門へ

まずは、明智光秀が築城した

坂本城の門を移設したといわれ

重要文化財である表門へと向かいます。

参道。

ここでも穴太衆が積んだであろう

素晴らしい石垣が出迎えてくれます。

このお寺は文化財の宝庫。

表門。

光秀もこの門をくぐったかも?

表門の境内側。

左側の建物には「番所」と書かれ、

昔は、お城の門だったという雰囲気が、

めっちゃ伝わってきますね!

お地蔵様

表門をくぐると境内全体が見渡せます。

境内遠景。

そして、すぐに目に入るのが、お地蔵様。

屋根を付けられ

大切にされた古い石仏。

こちらにもお地蔵さん。

こちらは神社でしょう。

神仏習合の名残はいいな~。

本堂

文化遺産オンラインによると

この本堂は江戸時代、

寛文五年(1665年)の建立で、

国指定重要文化財となっています。

まずは参拝。

そして、ここで大注目なのがこちら。

縁が木造ではなく、

なんと全部「石」ですよ!

こんなお寺、初めて見ました(多分)。

やはり穴太衆に代表される石工の町、

坂本ならではの

特筆すべき造りではないでしょうか。

客殿

本堂に向かって左手にあるのが客殿。

塀によって囲まれているので、

見えるところだけの撮影ですが、

屋根はこけら葺きはよく分かるし

これだけでも建物の素晴らしさが

伝わってきます。

案内。

国指定重要文化財で、

寛永十六年(1639年)の建立、

狩野探幽などの障壁画があると

書かれています。

開山堂

境内の一番奥にあるのが、

開山堂という建物です。

開山堂正面。

案内を超訳&加筆すると、

「寛永十六年(1639年)の建立で、

国指定重要文化財。

約千年前、実質的にお寺を作った源信と

家康の神号「大権現」を決めた天海が

祀られている」

こんな感じになります。

斜め前から撮影。

森可成の墓

織田信長の比叡山焼き討は、

近隣の寺社も巻き込まれ、

その多くが焼かれていますが、

そんなお寺の一つである

ここ聖衆来迎寺は焼かれていません。

Wikipediaによると

「信長の家臣・森可成(もりよしなり)の

墓所がこの寺にあったためという。」

「信長に敵対する浅井・朝倉連合軍に

対峙したが、可成は聖衆来迎寺付近の

比叡辻で迎え撃ち、討死した。」

「当時の住職・真雄は、

敵方の大将である森可成の遺骸を

夜間密かに運び込み葬ったという。」

やはり敵であっても人を憎まず、

思いやりを持って接すると

それが自分にも帰ってくるという

良い例でしょう。

開山堂のすぐ左にあるお墓は

五輪塔で、燈籠、石玉垣も完備され、

織田信長の忠臣らしい

立派な佇まいです。

森可成は、本能寺の変で

信長とともに亡くなった森蘭丸の父。

ちなみに森家は江戸時代、

津山藩主となり、

100年ほどで改易されるも

その後、赤穂藩主として、

明治維新を迎えています。

斜め後ろから撮影。

周囲のお墓も位が高い人と

推定れるものばかりあります。

ここには清州会議で

秀吉の後ろ盾で信長の後継者になった

三法師(後の織田秀信)の

母(織田信忠の側室)の

お墓もあるそうですが、

行ったときには気づきませんでした(汗)

これも立派な宝篋印塔ですね。

これで、参拝は完了・・・ではなく

忘れてはいけないのはこんな写真・・・

ツーショットは坂本城の門前で(笑)

今度こそ、

聖衆来迎寺参拝は完了です。

 

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