崇福寺(移築城門・旭地蔵尊)

 

城郭建造物避難場所

ここ崇福寺には、

福岡城と名島城の門があり、

それぞれ山門、唐門となっています。

ところが、

崇福寺には、

あと二つもの福岡城の遺構が

移築されていたのです!

それは潮見櫓と花見櫓で、

明治時代より仏殿として使用

されてきましたが、

平成二年(1990)度、

櫓の復元を目指し福岡市が買い取り、

解体後、部材を旧舞鶴中学に保管後、

35年を経過して、

今年(令和7年)3月、

福岡城に潮見櫓が復元されています。

黒田家の菩提寺だった事も

一つの要因だったでしょうが、

「城郭建造物避難場所」として、

崇福寺の果たした役割の大きさは、

言葉では言い表せない程のものだと

感じています・・・

崇福寺山門(福岡城本丸表御門移築)

黒田官兵衛のお墓に参った後は、

福岡城本丸表御門を移築した

崇福寺山門へと向かいます。

写真は昨年末に訪問した

福岡城の本丸表御門跡で、

ここに建っていたのが、

崇福寺の山門です。

崇福寺のエントランスから見た山門。

山門近影。

やはり表御門だっただけに

規模の大きさには、

目を見張るものがあります。

大正七年に福岡城から移築されています。

境内側から。

門内。

柱の太さが、

表御門の威厳を感じさせますね。

そして・・石畳がお洒落だ!

境内側斜めから。

真横から。

切妻屋根が大小三つというのが、

ちょっと珍しいような・・・

崇福寺唐門(名島城から移築)

埋め立てや市街地化で、

現在は原型を留めていない名島城、

しかしその遺構は「移築」という形で、

当時を偲ばせてくれます。

僕たちは過去2つの

名島城の門を訪問していて、

その一つ目は、

福岡城に移築された「名島門」です。

こちらは、名島城の脇門で、

名島城から福岡城へ移転する際、

黒田長政の家臣にさげ渡され、

その後福岡城に移築されています。

二つ目は、名島城を築城した

小早川隆景の墓所がある

宗生寺そうしょうじ(福岡県宗像市)の山門です。

名島城の搦手門を移築したもので、

当時の姿がよく残っています。

そして、三つ目が、

ここ崇福寺の唐門です。

唐門遠景。

唐門の近影。

正面から。

この門が、名島城のどこに

配置されていたかは不明ですが、

ここにある」こと自体が有難い限りです。

「重要文化財 旧名島城門」の案内。

桜と名島城門とツーショット完了。

旭地蔵尊

崇福寺では本堂への一般者参拝は

受け付けてられていません。

禅寺にはよくある事で、

お寺=修行の場との考えから、

そうされている場合もあるようです。

ということで、

ここでのメイン参拝は、

一般者が自由に出入り出来る、

旭地蔵尊となります。

山門前に建つ「旭地蔵大菩薩」の石碑。

やはりメインらしい扱いですね(笑)

いい雰囲気の松の木の傾斜。

枝垂れ桜も歓迎してくれています。

地蔵堂。

中に入って参拝したのですが、

信心深い方数名が、

熱心にお参りしている姿を見て

柄にもなく神聖な気分になり

俗っぽい(笑)撮影は

やめておきました。

千手観音菩薩

山門をくぐると

正面に見えてくるのが、

常夜燈のような姿をしたお堂です。

周囲には仏像(お地蔵様?)が並び、

大切感満載な雰囲気なので、

崇敬者も多いのでしょう・・

正直僕たちは、

この特異な姿が気になって、

お参りしたのですが、

正式名称はわからず、

「千手観音菩薩」の名札が見えていたので、

勝手にその名前をつけています。

山門から少し行き、左へ。

千手観音への参道。

参拝。

千手観音菩薩の周囲に安置された仏像は、

この方々かも知れません。

近付いて改めて参拝。

これにて崇福寺訪問は完了し、

次なる目的地、

冒頭に書いた、

福岡城の潮見櫓へと向かいます。

 

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