早雲寺(神奈川県箱根町)前編
一番の目的
妻の好物は、
浅井長政と北条氏(笑)
北条氏とは、鎌倉執権じゃなく、
戦国時代の「後北条氏」です。
その北条氏の祖である
北条早雲の墓が、
神奈川県箱根町湯元の
「早雲寺」にあります。
今回の旅の一番の目的は、
ここで早雲さんはじめ、
北条家五代のお墓に参る事。
と言いながら、
前編ではお墓は出てきません(笑)
早雲寺へ
小田原駅東口で、
北条氏政・氏照の墓、
西口で北條早雲像を訪問後、
本日の相棒を出迎えに
レンタカー屋さんへ。
今回は、ニッポンレンタカー。
「車種はお任せ」というプランなので、
きっと小型車だろうと思っていたら
出てきた相棒は、4WDのでっかい車!
最初はその大きさに戸惑ったものの
実際に運転してみると
坂道が多い箱根のコースでは、
パワーがある分、運転は超楽ちん(笑)
快適なドライブで、箱根湯本の
早雲寺に到着です。
妻が見つけた早雲寺入口の案内。
有料駐車場を一台で独占。
実は早雲寺の横側に、
お寺の無料駐車場が
あったのですが、
それを知ったのは参拝の真っ最中。
しかし、
ここに停めたのは、
こちらの方々の
お導きがあったからかも・・・
駐車場の目の前にある
忠魂碑と招魂社的なお社。
早雲寺参拝に先駆け、
御英霊たちに参拝。
参道
早雲寺は、箱根湯本駅から
ほどない距離にもかかわらず、
駅周辺の賑わいとは
全く別世界のような閑静なお寺です。
北条氏五代の墓は、
そんなお寺の本堂裏側にあるので、
まずは、伽藍の散策へと向かいます。
早雲寺惣門。
北条氏の家紋、三つ鱗が
燦然と輝いていますね!
惣門の前には、
韓国風な石像が・・・
何故このようなものが、
ここにあるのか?
別段、説明も見当たらず、
不思議に思っていましたが、
この後、
扁額を確認すると
その意味が分かりました。
「金湯山」
「朝鮮國雪峯」
こう書かれています。
なるほど!早雲寺は、
広島県鞆の浦にある
福禅寺對潮楼と同じく、
朝鮮通信使ゆかりのお寺なんだと
勝手に納得(笑)
通信使は各地で扁額に書を
残していますからね。
(後日ネットで調べると正解でした)
惣門をくぐると山門が見えています。
振り返って惣門を撮影。
苔むしたこの雰囲気、
ホント癒やされますな~。
参道左側の
お地蔵様と境内社。
まずはお地蔵様にご挨拶。
お寺の鎮護社的な境内社に参拝。
山門へ。
重厚感溢れる
立派な山門。
屋根瓦は勿論、
北条氏の家紋、三つ鱗。
境内
山門をくぐってすぐ右手には、
お墓らしきものが見えます。
案内は見当たらないので、
詳しくはわかりませんが、
お寺関係の偉い方の墓または
供養塔でしょう。
次にお隣の鐘楼へ。
鐘楼と御神木。
鐘楼アップ。
茅葺屋根の鐘楼なんて、
なかなかレア物かも?
案内を書き出すと、
以下になります。
「県指定重要文化財
梵鐘
元徳二年(1330)鋳造。
豊太閤天正十八年(1590)
小田原攻めの時、
石垣山一夜城で使用したものです。」
やはり、
鐘楼に茅葺屋根を奢られるだけあって、
由緒ある梵鐘だったのですね。
呉越同舟とでもいうのか、
北条攻めの時、
豊臣秀吉の城で使用した梵鐘が、
北条五代の墓が建つ寺の中に
一緒に配置されているとは・・・
北条氏滅亡から25年、
勝利した豊臣氏もまた、
大阪夏の陣で滅亡しています・・・。
人の世の儚さ、無常を
早雲寺の梵鐘が、
僕たちに教えてくれる・・・
そんな気がしています。
梵鐘近影。
秀吉もこれを見たのかな?(笑)
この後、境内右奥へ。
ここにあったのか
無料駐車場(笑)
ここを起点に改めて本堂へ。
手水鉢は井戸。
何とも風流な佇まいです。
清浄な水が流れ、
気持ちよく手水完了。
山門を左手に見て、
石畳で本堂へ。
本堂全景。
案内を書き出すと
以下になります。
「本尊 釈迦三尊
(釈迦如来坐像、文殊、普賢菩薩像)
開山 以天宗和和尚(大徳寺83世)
開基 北条氏綱
創建 戦国時代 大永元年(1521)
中興開山 菊径宗存和尚
(大徳寺165世、早雲寺27世)
再建 江戸時代 寛永四年(1627)
現本堂は寛政年間(1790年代)の建立。
平成15年6月に
近世寺社建築の遺構としては
初の町文化財に指定されました。
昭和30年代までは
茅葺き寄棟造りでした。」
現在の本堂は入母屋造りなので、
銅板葺き屋根にする際、
屋根の形状も変更されたという事でしょう。
なかなか茅葺きを維持管理するのは、
至難の業ですからね・・・
参拝。
この後は、
遂に(笑)
北條早雲さんたちの
お墓へと向かいます。
(後編に続く)