刀工鍛冶場(宮崎県高鍋町)
興味が湧く日が来るかも?
お城跡の刀工鍛冶場というのは、
なかなか珍しく貴重なものですが、
正直、僕たちは刀工や、刀剣には
現在、ほぼ興味がないのです(汗)
しかし、
出会った限りは何かのご縁、
体験しているうちに、
興味が湧く日も来るかも知れません(笑)
刀工鍛冶場へ
まずは案内から。
案内を書き出すと、
「この鍛冶場は、
北高鍋道具小路南地区の
岩下英(盛夷)氏の
鍛冶場を復元したものである。
鍛冶場は34.92㎡で、
主要部分には吹子・火防壁・
金敷(金床)・道具棚があり、
東側ひさしの部分は刀の仕上げ場であった。
秋月家のお抱え刀工師は三家あり、
いずれも岩下姓で筑前(福岡県)より
初代種長公が召寄せられたという。
展示品(刀工具):岩下家寄贈」
このようになります。
秋月種長さんのお父様は、戦国末期、
益富城での豊臣秀吉の十八番(おはこ)
圧倒的な戦力差を見せつける、
「一夜城作戦」で戦意喪失し降伏。
家名存続は許されたものの、
筑前(福岡県)、秋月から
高鍋3万石に転封となっています。
その結果、岩下さんも一緒に高鍋へ。
ただし、連れて行くという事は、
それ相応のお金が必要ですから
岩下さん、相当な名刀工だったのでしょう。
まずは左のひさしの中へ。
岩下家に残されていた
吹子の展示が目に入ってきます。
二本刀の材料。
材料の実物。
二本刀製作の工程。
岩下家の家系図。
岩下家に伝わる免許状など。
次に広い部屋の鍛冶場へ。
音まで聞こえてきそうな
リアルな鍛冶場の再現。
反対側から撮影。
そして、
ここで気になるものを発見!
神棚です。
復元品としてだけではなく、
現役でもあるんですね!
裏側。
これは何でしょうか・・・
手水鉢でもないし・・・
謎のまま刀工鍛冶場の散策は完了です。