田原坂公園(熊本市)

 

絶妙な時間配分

定期観光バス

田原坂せごどん号」で

熊本駅からやって来た

僕たちに与えられた

ここでの時間は1時間。

その間に資料館を見学し、

公園を散策するのですが、

僕たちにとってこの1時間は

絶妙な時間配分でした。

企画したバス会社の方は

さすがですね。

田原坂公園散策へ

田原坂西南戦争資料館を見学し

その充実した内容に大満足した

後は、公園の散策に向かいます。

田原坂西南戦争資料館の

裏手にいくつかの

見どころがあります。

案内板。

巨木好きの僕には嬉しい、

「大楠」の文字が、

目に付いてしまいました(笑)

少し行くと、慰霊塔が見えて来ます。

西南の役戦没者慰霊之碑の

案内板です。

何と、両軍合わせて1万4千人ほどの

全戦没者の方の名前が、

ここに刻まれているそうです。

戦死者○名と十把一絡げにして、

ひとまとめに慰霊するのではなく、

「個人の死」として

一人一人を大切に慰霊するという

その心には感銘を受けました…

慰霊之碑。

背後には戦没者全員の名前が

刻まれた壁が立っています。

次に向かったのは、大楠。

主幹は折れてなくなったので、

このような形になったのでしょうか。

幹の太さからして、

樹齢は400年前後のようですので、

この大楠は、田原坂の戦闘も

見て来たのでしょうね。

美少年像。

何か女子旅誘致の目的(笑)

かと思ったらそうではないようです。

有名な熊本民謡の田原坂の歌詞、

「雨は降る降る

じんばは濡れる

越すに越されぬ 田原坂」

ここまでは何故か子供の頃から

知っていましたが、

その後に、

「右手に血刀 左手に手綱

馬上ゆたかな 美少年」

この歌詞が続くのです!

へ〜知らなかった〜。

この歌詞をもとに

美少年像の建立となり

田原坂せごどん号のバスも

美少年キャラだったのです。

現地に足を運べばこその

新知識でした。

田原坂崇烈碑

これは田原坂の戦いの3年後の

明治13年に建てられたものです。

わずか3年後に建てられたものですから

書かれている内容は、

あくまでも政府よりのもので

田原坂の戦闘に勝った意義は大きく、

もし負けていたら日本は騒乱状態に

陥ったかも知れないと書かれています。

何事も「勝てば官軍」ですから(笑)

ここから見えるのが、

田原坂と書いてあります。

その書いてある案内がこちら…

まるで田原坂の戦闘で

被害を受けたかのように

満身創痍です(汗)

案内図を修復するのも

作り替えるのも

全ては、やる気と予算(笑)

地方活性化、地方創世、

なかなか大変だ〜。

そして、最後に巡ったのが、

この薩摩塚です。

新しい生花が飾られ、

大切にされていることが、

良くわかります。

元々は別の場所にあった

戦国期、島津軍と戦った

兵士を弔う塚が、

バイパス新設の為移転となり

ここ田原坂に持って来て、

田原坂の戦いで亡くなった薩摩兵と

合葬したものです。

ここまでで、田原坂公園の散策は

終了し、バスの時間が迫った僕たちは、

ちょっと慌ててツーショットを完了。

この直前にカメラを地面に落として、

冷や汗をかいた僕の顔(笑)

カメラ、作動してくれてありがとう!

帰りに寄った道の駅、

「すいかの里植木」

ここで、切符に付いて来た

1000円のクーポンを使って

お昼の弁当をGET。

青空の下、田原坂せごどん号の勇姿!

ここからまた熊本城まで、

バスの旅を楽しみます。

バスは相変わらず貸し切り状態です。

もちろん「すいかの里植木」で、

調達した弁当に食らいつきます(笑)

僕は、ボリューム満点の

唐揚げ弁当。

塩味とニンニクが効いていて、

めっちゃ美味かった〜。

でもバスの車内が、

ニンニクの臭いで充満(汗)

運転手さん含め他の3人には

ごめんちゃいでした(笑)

妻はヘルシー弁当。

おかずの種類が豊富で

こちらも大満足でしたとさっ!

 

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