高島城(長野県諏訪市)本丸跡/後編
幸運
高島城の本丸跡は、
明治時代に入り、
高島城公園として整備され、
今に続いています。
多くのお城には、官庁や軍が入って、
城跡は大きな改変が行われ、
駿府城の巨大な天守台も
軍の施設建設の為、上半分を削り、
埋められてしまっています・・
(近年発掘調査中です)
それを考えると
天守や櫓などは破却されたとはいえ、
公園として市民に開放された
高島城の本丸は「幸運」だったと
言えるでしょう。
能舞台跡
前編からの続きは、
能舞台跡から。

「能舞台跡」の案内。
「ここは、能舞台があった場所である。
当初、本丸の御殿内にあったが、
文政10年(1827)に
新築されたもので、
舞台の鏡板には、
岩本琴斎が描いた老松の絵があった。
明治三年(1870)三月、
高島藩主の菩提寺であった
温泉寺が大火で焼失した際、
本堂として移築された。
本舞台や後座などの遺構を残す本堂、
本堂と庫裏の廊下に壁画のような形で
保存されている鏡板は、
諏訪市の有形文化財に指定されている。」
能舞台が移築された温泉寺、
ちょっと調べると、
高島城の門までが移築されているようで、
大いに気になっています(笑)
持方月櫓跡
次に櫓跡と復興隅櫓へ。

多聞櫓跡を通過。

こちらは天守近くの多聞跡ですが、
多聞櫓ではないものの、
漆喰塗りの板塀で、その痕跡を
いい感じに再現されていて、
設計者・施工者の心意気を感じます。

持方月櫓跡。

この櫓跡から、
隅櫓までは板塀が続き、
江戸風情を醸し出していますね!
角櫓(すみやぐら)
外堀から見た角櫓を
今度は城内から見学します。

角っこへ(笑)

キハダ(樹木)。

「高島城のキハダ」
以下、要約です。
「推定樹齢150年位(令和8年現在)、
諏訪地方最大の部類に入るキハダで、
現在の幹は、切り株からの根生えが
大きくなったもので、
これは、
薬用として城内に植栽され、
必要に応じて伐りとって
使用されていためとも考えられる。」
キハダは
薬草(薬木)なのですね!
西洋医学が普及する前の日本人は、
自然のものから薬を得るという
健康的な暮らしをしていたのでしょう。
薬による「健康被害」も
少なかったでしょうし、
延命治療などもないので、
人が「本来寿命」を全うできたのは、
ある意味、幸せかと思います・・・

角櫓跡(復興櫓)。

こちらは先に外堀から見た角櫓です。
この角櫓から冠木門、
冠木橋、天守への連続性を
全て再現しているのが、
高島城の大きな魅力でしょう!
本丸御殿跡の池
本丸御殿のあった場所には、
美しい池が設られています。

「本丸御殿跡」
以下、全文です。
「ここは、
本丸御殿があった場所である。
家老など重職との接見や
重要な行事が行われた
表御居間・御次・下御次
・下段之間があり、
御納戸・中御納戸
・御祐筆部屋・大納戸部屋など
藩主の身の周りの世話をする
部屋が付属していた。
奥には藩主の私生活の場である
御休息居間・同二之間・同三之間があり、
江戸城でいえば、
大奥にあたる長局と呼ばれる
部屋が隣接していた。
また、御用部屋や郡方、御勝手方など
藩政の中核となる部屋も備えられていた。」

池の一番奥には水源となる
「滝」が流れています。

滝をアップ。
近くの川からポンプで
汲み出しているのでしょうが、
この清浄感を保っているのが、
素晴らしいと思います。
メンテナンスは、
本当に大変な事ですから・・・
ここから振り返ると・・・

流れの先には池、
そして天守も見えています。

美しく剪定された池の松と天守。

これ良い!
天守を池に映して、
リフレクション写真も撮れますね!

縦位置でアップ。
ここに池を作った人、
グッジョブ!(笑)

外堀でツーショット完了。
早朝の高島城、
素晴らしかった〜!