高島城(長野県諏訪市)本丸跡/前編
60年の時を経て・・・
江戸初期から明治維新まで、
諏訪藩主だった「諏訪氏」。
元々は諏訪大社の社家(宮司の家柄)で、
諏訪を所領としていましたが、
武田信玄の信濃侵攻により、
所領を奪われています。
後に、信玄の子、
武田勝頼が織田信長に滅ぼされ、
その直後、甲斐に侵攻してきた
徳川家康と和睦し家臣となり、
家康から諏訪の旧領を安堵されるも
小田原攻めで北条氏が滅ぶと、
家康の関東移封によって、
諏訪氏も諏訪の地を離れ関東へ・・・
その後釜に入ったのが、
豊臣秀吉の家臣、日根野高吉で、
諏訪湖畔に高島城を築城しています。
そして10年後、
関ケ原の戦いで家康が勝利すると、
日根野氏は壬生藩(栃木県)へ転封となり、
諏訪藩には再々度、諏訪氏が入り、
武田信玄の侵攻から約60年、
諏訪氏は世代を超えて、
遂に失地回復の悲願を達成したのです。
しかも
日根野高吉が精魂込めて造った
立派な天守がそびえる、
高島城までが付いて来るという
それまでの困難さを持ってしても
有り余るご褒美が貰えたのですから
その満足感は、
半端ないものだったでしょう(笑)
本丸跡の概要
現地で平面図を撮り忘れたので、
Googleマップを頼ります(笑)

公園として整備された本丸跡。
諏訪市役所もお隣にあって、
江戸時代から政務の中心は、
変わっていないようですね。

「高島城 浮城とも言う」
以下、全文です。
「この地は高島城本丸跡である。
この城はおよそ380年前
(※令和8年からだと436年前)
文禄・慶長年間、日根野織部正高吉が、
七年を要し彼独特の築城の技術を生かし
諏訪湖の波打ちぎわにきずいた
難攻不落の水城で
別名を浮城とも言われている。
関ケ原役の後は諏訪氏の居城となり
そのまま転封もなく維新までつづいた。
この間、城は中山道や甲州街道の
道中記には必ずのせられる名勝でもあった。
本丸内は藩主の御殿や書院
また一般政務の御用部屋、郡方、
また賄方などがあり、
能舞台、氷餅部屋など
多くの建物で埋まっていた。
明治維新の改革で高島藩は消え、
明治八年には天守閣も破却されたが、
諏訪市の在城260余年間、
一度も百姓一揆をおこさせるような
暴政の出たことのない名城であった。
明治九年本丸跡は高島公園として公開され、
護國神社も祭られ、
諏訪の人々の心のよりどころとして
親しまれてきた。
今日も城内と言われた大手門以南の地形が
おおよそ昔のままの姿をのこして
近世の城郭を考えるいい資料である。
今度の復興については
文部省文化財専門委員
大岡実博士の設計により、
破却当時の姿を忠実に再現したものである。
庭園は天守閣復興とともに
諏訪高島城復興期成同盟会長
岩本諏訪市長が自らの設計により、
諏訪市が人の心の和によって
いよいよ発展することを念願して、
人字方の池に心を島で表し、
滝や渓流を配して躍動感を
与えて造られたものである。
昭和四十五年五月」
この碑文が記されたのは、
今から56年前、
西暦1970年で、
大阪万博の年で、
僕らは11歳だった時ですが、
諏訪市の方々にとっては、
高島城の復興という、
エポックメイキングな年だったのですね!
天守
外堀から眺めた天守を
今度は本丸内部から見ます。

エントランス。

右側の「復興碑」。
文字が風化していていますが、
「7100人以上の寄付で、
約1億円集まった」
このように記述されています。
56年前の1億円は、
今の価値だと3億円ほどのようで、
諏訪市民の高島城復興への情熱を
今も偲ぶことができます・・・

諏訪氏の家紋「丸に諏訪梶の葉」が
あしらわれた案内には、
日根野さんの築城から
明治維新の廃城、
昭和四十五年の復興までが
記されています。

天守近影。
左端には諏訪湖が見えていますね!
僕たちは朝6時の訪問なので、
入場はできませんが、
外観だけでも十分楽しめます。

正体不明の石。

「137歩くらい」という表現に
思わす拍手!(笑)

改めて縦位置でも撮影。
覗石松と亀石
ここからは本丸内の新旧見所へ。

本丸御殿絵図。

天守石段近くの覗石松と亀石。
亀石を覗くように立つから
覗石松と呼ばれるそうです。

反対側から撮ると、
覗き込んでいる姿が良くわかります。

亀石。

本丸の庭園にあったものが、
明治に入り、城外に移され、
その後、平成十九年、
132年ぶりに高島城公園(本丸)に
戻されています。

水をかけると、
まるで亀が生きているように
見えるという事でやってみました。
確かに生きています!(笑)
いらか(オブジェ)
亀石近くのオブジェへ。

僕はこれを見た瞬間、
天空の城ラピュタの
「ロボット兵」の顔を
思い浮かべてしまいました。

作品名は「いらか」です。

お〜反対側は、
さらにロボット兵のお顔に
似ていますよ!
ただ、実際はラピュタよりも
こちらが先なので、
ラピュタのロボット兵のお顔が、
高島城の「いらか」に
似ているという事になるのかな(笑)

お顔アップ。

こんな楽しみ方もあります(笑)
高島城のフジ
「いらか」の前には、
藤棚があります。

綺麗に手入れされていますね!

案内には、
「明治九年の高島城公園の開園当時、
植栽されたもので、
市内では最古のものである。」
このように記されています。
令和8年時点での推定年齢は140歳、
かなり長寿ですね。

長寿の秘訣は・・・
大切に手入れされていること、
それに地元の方々に愛されていること。
これに尽きるでしょう。
三之丸御殿裏門
次に復興された門へ。

大きな時計。
時間は正確です。

三之丸御殿裏門(御川渡門跡)。
「この門は藩主の別邸、
三之丸御殿の裏門で、
城が湖に面していたころは、
ここで湖の舟に乗ることができた。」
こう記されています。

場内側から。
今は道路が見えていますが、
この門のすぐ前に、
諏訪湖が広がっていたことを想像すると
ロマンティックが止まりません(笑)
土戸門跡
次に土戸門跡へ。

外側から本丸内へ。

すぐ左には、
御柱(おんばしら)のような、
四本柱に囲まれた
道祖神が祭られています。

食い違い虎口の石垣。
野面積みなので、
もしかすると
慶長年間の古いものかも知れません。
(後編に続く)