高照神社(弘前市)廟所

 

石田三成の曽孫

高照神社の霊廟(お墓)に祀られる

津軽信政は、関ケ原の戦いで有名な

石田三成の曽孫です。

関ケ原の戦い後、

三成自身は処刑されたものの

家康は生き残った子供らを

殺していません・・

出家して僧となったもの以外に、

津軽家が引き取った子らがいて、

その中の振姫は、

津軽為信の子、

弘前藩二代目津軽信枚に嫁ぎ、

三代目となった信義を産んでいます。

後に、

信枚には満天姫まてひめという

徳川家康の養女が嫁ぎ、

正室となり、

男児も設けていますが、

後継者には三成の血を引く、

信義を選んでいるので、

こじつけではありますが、

三成が家康に勝ったとも言えそうです(笑)

そして、

その信義の子が廟所の主、信政です。

津軽為信と豊臣秀吉の

「取次役」をしていたのが、

石田三成だったという関係が、

結果、三成の子孫が

津軽家の助けで生き延びる

遠因になったのかと思われますが、

津軽氏と南部氏との領地争いの仲裁で、

三成は津軽推しだったようですから、

為信さんは、三成に対して、

そんな恩義も感じていたのかも

知れませんね。

三成さん、

自身の大望は果たせずとも

家康の養女の子を差し置いて、

自身の孫、ひ孫が、

弘前藩主として、

一国一城のあるじになった姿を

草葉の陰から見守り、

さぞかし喜んでいた事でしょう・・

馬場

神社本殿から真っすぐ奥に行くと

突き当たりが廟所ですが、

その途中に「馬場跡」があります。

神社に馬場が併設されている姿は、

過去にもいくつか見てきましたが、

ここは近年「復興再現」されたようです。

「馬場跡 廟所」の案内。

整備された道の横に一本の桜を発見。

樹齢300年のしだれざくらです。

案内を書き出すと以下になります。

「このしだれざくらは、

津軽藩四代藩主信政公が青森市妙見の

大星神社再建完成の際、

数百本のしだれざくらを記念に植えたと

言い伝えられているが、

このとき、

高照神社に持ち込まれたものと

思われる。

この古木は現在、

大星神社と高照神社のみに現存しており、

貴重な存在である。」

妻、御神木パワー吸収中(笑)

幹の太さとゴツゴツ感に

300年の歴史を感じますね。

真っ直ぐ行けば廟所ですが、

ここは馬場を優先し寄り道します。

東側入口。

いい感じの木橋を渡り馬場跡へ。

妻が見つけた傍らの白藤。

癒されますな〜!

案内を抜粋すると

以下になります。

「高照神社の馬場は

文政十三年(1830)に

弘前藩により構築され管理されましたが、

廃藩後、馬場として使われなくなり、

雑木も繁茂したものの、

馬場としての形態は良く残っていました。

弘前市では

貴重な馬湯跡を保存活用するため、

神社所蔵資料等の

保存・活用を目的とする

「高岡の森弘前歴史館」整備に併せて、

敷地の公有化と発掘調査を実施し、

その調査成果に基づいて、

土塁構築や砂敷設など

復元的な備工事を実施しました。

(中略)

絵図では、参道から馬場に向う入口に

「石橋」「土橋」の表記がありますが、

現状では西の石橋のみ現存し、

土橋は現存しません。

高照神社馬場跡は、江戸路代後期に

弘前藩が行った土木事業の跡として、

また、「神馬奉納」が行われた

神社祭祀の場として、

歴史的に貴重な遺産といえます。」

馬場の東側から西側を望む。

妻を入れて広さを実感。

長さ約140m、幅約15m、

案内にはこのように記されていました。

なかなか立派ですね!

馬場の横にはヒナギクが群生しています。

黄色も少々。

次に西側の入口から馬場へ。

江戸時代の絵図に載っている「石橋」は、

今も現役で頑張っておられます!

西側の案内。

「高照神社の馬場は、

文政十三年(一八三〇)

十代信順により構築され、完成後

「神馬牽入始之儀」も行われました、

歴代藩主や一族、重臣により

神社に奉納掲額された大絵馬に、

神馬奉納の華やかな光景を

間見ることができます。

馬湯は高照神社整備の最終段に構築され、

馬場の完成をもって神社としての

機能が完備されたとされます。

十九世紀初頭、「北の黒船」と称される

ロシアの脅威が迫った時期に、

高照神社の整備を進展し機能を完備させたのは、

信政の「神威発揚」を願い、

藩の意識を「北狄の押」に収斂しゅうれんする

目的があったものと考えられます。」

これを読むと、

馬場跡の復元は、

廟所に眠る信政さんへの

最高のプレゼントでしょう。

しかも、今現在の世界情勢、

馬場が完成した時期と

重なりますね・・

信政さんの神威発揚、

切に祈っております!

馬場の西側から東側を望む。

廟所

ここから主目的の

廟所へと向かいます。

案内を書き出すと、

「本殿の背後

約二百メートルの場所に位置する廟所は、

石造の津軽信政公墓二基が前後に並び、

その前面の廟所拝殿、正面の廟所門と

端垣・木柵で構成されています。

廟所拝殿は平入の建物で丹塗り仕上げ、

屋根は切妻造銅板葺です。

廟所門は素木造の腕木門で、

屋根は切妻造銅板葺で上方にゆるや

かに膨らむ形状になっています。」

このようになります。

廟所への参道。

同じ吉川神道の保科正之さんの

墳墓への道とよく似ていますね!

こちらが保科さんの参道です。

吉川神道の奥義を習得した

超優等生お二人の共演、

吉川惟足さんもお喜びかも?(笑)

参道右側の「お茶の水」。

正面の廟所門が見えてきました。

豪華な削り仕上げの石畳にも注目。

休憩所的な椅子も完備。

参拝。

扉は閉まっていますが、

ちょっと見える範囲で、

廟所拝殿を拝見・・

お〜丹塗りですね!

しかも綺麗に整備されています。

拝殿の先、奥の門の中に

石造の津軽信政公墓二基が

前後に並んでいるのでしょう。

改めて参拝・・・

参拝後・・

廟所から本殿を過ぎ、

拝殿前へと戻ります。

ここでツーショット完了。

高照神社から弘前城に向かう途中の風景。

岩木山、ホント素晴らし過ぎ!

まさに霊峰、

何度見ても飽きないな〜!

 

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