田中城(静岡県藤枝市)遺構巡り

城域はそのまま?
日本のお城で唯一無二と言われる
円廓式縄張りの田中城。
その、まん丸い城域は、
現代のGoogleマップで見ても
びっくりするほど残っています。
マップに移行などを少し
追記してみましたが、
本当にこの町は、
そのまま円形なんですね!
僕たちは、
下屋敷〜三日月堀〜本丸(益津小学校)
〜大手ニ之門跡〜ニ之堀〜三之堀と巡り、
下屋敷に戻るコースでの散策でしたが、
歩いてみると、
その円形っぷり(笑)が
いっそう理解できました!
パンフレット
最初に、
田中城下屋敷で頂いた
何種類もの資料やパンフレットから、
絵や漫画があって、
一番分かりやすいもので、
田中城を見てみます。
徳川家康が攻略するのに
8年もかかった難攻不落の田中城、
江戸時代には上水道完備という、
実に使い勝手のいいお城だったようです。
広域図。
田中城の遺構。
三日月堀(馬出曲輪)
下屋敷を出てすぐに橋を渡ります。
この幅なら車が来ないので安心(笑)
田中城の四重の堀の
一番外側の堀でもある
六間川土手を歩いて本丸方面へ。
「三之堀 土塁跡」の案内。
右の道、円形の一部であるのが、
よく分かります。
三日月堀に到着。
「田中城三日月堀(馬出曲輪)」
「正式には馬出曲輪といい、
甲州流(武田式)築城法の一つである。
諏訪原城、小山城、江尻城など
武田氏の築いた城郭にはみんな馬出曲輪が
備えつけられている。
田中城には六箇所の
馬出曲輪が備えつけられていたが、
現在目にすることのできるのは、
新宿二之門の外につくられた
三日月堀だけで、
それも実際の大きさの
約二分の一位である。」
このように記されています。
こちらは徳川家康期に造られた
諏訪原城の巨大な馬出しです。
家康さんの真骨頂、
「人から学んで、それを
徹底してグレードアップさせる」
この法則がここでも発令されています。
恐らく、田中城のものも
諏訪原城に似て、
強力な馬出しだった事でしょう。
本丸(益津小学校)
現在、本丸跡には小学校が建っています。
通用門。
正門。
田中城本丸跡の標柱。
矢印の下には、
「平島一之門跡」とあります。
平島一之門跡は、
横断歩道を渡り、
100mほど奥に行ったところですが、
持ち時間がなくてパスしています・・
が、
ここで妻が雄叫びを!
「これ、見て!虎よ!」
何かと思って妻の指先を見ると・・
お〜まさに虎だ〜!(笑)
歩行者用押ボタンが、虎の鼻とは、
ビックリです!
やっぱり妻の視点は、
常人じゃありません(笑)
そんな「虎」は、
寅年、寅の日、虎の刻生まれの
田中城ゆかりの
徳川家康とシンクロしていますから、
もしかして、これって設置した人の
深謀遠慮が入っているのかもなんて、
妻と二人で大盛り上がり(笑)
ちなみにここの地名は「田中」。
分かりやすくて素晴らしい!
大手ニ之門跡・ニ之堀
さらに西に進み大手二之門跡、
二之堀を目指します。
趣のある木橋がいい感じ!
二つの案内を書き出しすと
以下になります。
「大手二之門跡」
「大手一之門とあわせ
田中城の正門として重要視された。」
「田中城 二之堀」
「戦国時代、
甲斐の武田氏によって三重の堀、
三日月堀(馬出し曲輪)をもつ
田中城の原形が築かれ、
江戸時代の初め、
城主・酒井忠利の拡張工事によって
四重の堀に囲まれた
田中城が完成しました。
二之堀は、本丸から二重目の堀で、
幅は12.7〜21.8m、
深さは2.1〜2.9mでした。
この付近は大手二之門の入り口にあたり、
堀を渡るために
長さ5.4m、幅3.6mの大手二之橋が
かけられていました。
その北西側には
かつて三日月堀がありました。」
木橋から見た二之堀。
三之堀
少し歩き三之堀に到着。
お〜なんか緑だ〜(笑)
サギちゃんもお出迎え。
なんかいい感じで残っていますね!
入口。
「田中城 三之堀」
「三之堀は、本丸から三重目の堀で、
幅は18〜27m、深さは1.7〜4.2m、
土塁の高さは、水面からおよそ5mです。
堀の北側からは
今でもきれいな清水が湧き出ています。
この付近は、
御館のちょうど西側にあたり、
この堀に面した四之曲輪には
藩士たちの屋敷が並んでいました。」
この中に書かれた「御館」というのが、
現在下屋敷に移築された櫓です。
これが本丸に建っていた訳ですね!
土塁上まで行ってみる事に。
階段まで設置されています。
高い所から堀を眺めて、
めっちゃ爽快な気分の妻(笑)
土塁はまさに展望台(笑)
せっかくなので、
土塁バックにツーショット。
帰路
帰路もカーブだらけ(笑)
円廓式縄張りを堪能。
町の掲示板に貼られた
藤枝市郷土博物館・文学館のポスター。
「岡部氏と朝比奈氏」
岡部氏と言えば、
桶狭間の戦いで討ち取られた
主君、今川義元の首を持ち帰り、
東向寺に葬った
忠臣、岡部元信の名を想起します。
彼はその後武田の家臣となり
高天神城で玉砕し果てていますから
「戦国大名今川氏、武田氏を支えた」
この部分は彼の事を
言っているのかもですね!
また、朝比奈氏と言えば、
掛川城を築城した事が、
妙に頭にこびり付いています(笑)
下屋敷に帰着。
桜の季節は、「桜&櫓」が
いい感じで撮れるのでしょうね!
ここから富士山静岡空港へ向け出発!