2022/01/19

高天神城(静岡県掛川市)その1

 

案内軍

旅する時、

道順などの事前情報を得ても

それはあくまでも机上のもの。

現場に行けば、

何かと分からない事は多々あります。

特に木々が生い茂った山城の場合、

下手すると迷子状態になったり

予定をカットして退却したり・・・

しかし

そんな初訪問者の不安を

一掃してくれるのが、

高天神城の案内群なのです。

そう、

「案内」が幾つもあるから「案内群」です。

いや、僕達の強い味方だから

ここは「案内軍」と命名します(笑)

追手門側の駐車場。

先に訪問した横須賀城からは、

車で20分ほどなので、

横須賀城が高天神城攻めの附城として、

大いに役立っていた事が

肌で感じられます。

僕達の高天神城は、

ここから攻城開始ですが、

その前に案内軍のメンバーを紹介します。

「高天神城想像図」

これは実に有り難い!

この俯瞰図を見ただけで

テンション上がりまくるし、

山登りのイメージもこれで掴めます。

戦国時代の高天神城を

目に刻んだ気分です。

「高天神城跡案内図」

これと

高天神城想像図をミックスして

攻城すれば、まさに鬼に金棒!

そして、これらに加えて、

さらなる秘密兵器も

装備されているのが、

高天神城の凄いところ。

「高天神城ハイキングマップ」

手持ちの地図で、

要所を写真付きで紹介され、

実にわかりやすいのです!

裏側には周辺の案内図もあり

後ほど車移動した搦手門まで

迷わず行けたのは、

この地図の功績と言って良いでしょう。

強力な「案内軍」のお陰で、

駐車場にいながらにして、

高天神城の攻略は

既に成功した気分です(笑)

攻城開始

エントランスには鳥居が建っています。

高天神城という名前の通り、

天神様が鎮座しているからでしょう。

高天神城跡の標柱。

案内には、

「この城は一城別郭式と言われている。

城の構成が、東と西に曲輪が二つある。」

このように書かれています。

高天神城の特徴はまさに

この「一城別郭式」なんですね。

こちらは帰る間際、

搦手門から撮った写真ですが、

その様子がよくわかります。

左の高い山の頂上が本丸で

右の低い山の頂上が西の丸で、

極端に言えば城が二つある感じです。

高天神城追手門跡スギ

登りはじめて最初に遭遇するのが、

枯れ木のようにも見える

大きなスギです。

中の木は完全に枯れています・・・

しかし・・・

生きているんですよ!

妻と高さの比較。

いきなり妻の好む、

味のある古木と出会え、

抱きついていますね(笑)

追手門

スギの先に見えたのが追手門。

「大手門」とも言いますが、

お城の玄関口ですね。

戦国山城らしい素朴な追手門。

案内を要約・加筆すると

「元亀2年(1571)3月

武田信玄来攻するも退却。

天正2年(1574)5月

武田勝頼来攻。

武田勢、内藤昌豊、山県昌景の

精兵城門に突入。

(徳川軍降伏し、

高天神城落城、武田軍の城となる)

天正8年(1580)10月

徳川家康当城を包囲猛撃。

天正9年(1581)3月22日夜半

(武田の)城兵総突出に際し、

徳川方の松平康忠城門を破って突入、

追手門を焼き落とした。」

このように書かれています。

着到櫓跡

追手門を少し登ると

見えてくるのが着到櫓跡です。

櫓跡内部へ。

着到櫓跡からの眺望。

見張り場としての役目、

これならば完璧ですね!

土塁も残っています。

三の丸

次は着到櫓上の曲輪、三の丸へ。

整備された道。

三の丸の案内。

中規模な三の丸。

案内には、

「城内の武将が宿営した所であるが、

元亀二年より天正二年にかけて、

武田勢が来攻当時、

小笠原与左衛門清有が三の丸大将として

城兵二百五十余騎を従えて守備した。

別名、与左衛門平ともいう。」

このように書かれています。

三の丸からの景色。

遠州灘まで見えますね!

御前曲輪

次は三の丸の上段、御前曲輪へ。

案内も完璧。

全く予期せぬ顔出しパネル発見。

もちろん、

やってみるのが僕達流、

妻は、城主小笠原与八郎長忠に(笑)

そして、この裏側に残るのが、

コンクリの基礎部分です。

案内によると

「昭和9年に地元出身の

軍医少将が、故郷を偲び、

2層の模擬天守を建てられました。

残念なことに

昭和20年落雷によって焼失。

(一説には陸軍が駐屯していたので、

目につきやすいことから

自ら爆破させたとも)・・・?」

このように書かれています。

本丸へ

実は御前曲輪へ行く前、

すぐ上の本丸に

一旦入ってみましたので、

時系列で言えば、

こちらが先です(笑)。

本丸への虎口。

何故か川原石のような

丸い石が沢山あります。

本丸側から見た虎口。

元天神社

本丸中心部に行く前、

御前曲輪との境付近に建つ、

元天神社へ。

社頭。

享保九年(1724)

西の丸(西峰)に

遷宮される前までの元宮です。

参拝。

この後、本丸の

主要部分へと向かいます。

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください