徳川慶喜の墓(谷中霊園)
谷中霊園墓参ツアー
江戸幕府十五代将軍、
徳川慶喜のお墓は、
日光や寛永寺、増上寺に葬られた
歴代将軍のお墓とは違い、
一般的な墓地(僕の認識)の
谷中霊園にあることを知り、
参拝することにしたのですが、
調べているうちに、
多くの大名家や渋沢栄一、
横山大観などのお墓も
ここにあることが分かり、
結果、
「谷中霊園墓参ツアー」
となったのでした(笑)
徳川慶喜公墓所
寛永寺の根本中堂から
歩いて谷中霊園へ。
途中見つけた御隠殿坂の案内。
「御隠殿は東叡山寛永寺住職
輪王寺宮法親王の別邸。
江戸時代、
寛永寺から別邸へ行くため、
この坂が造られた。」
僕たちが辿ったのも
この道の一部です。
(坂までは行っていない)
谷中霊園の入り口付近には、
早速、慶喜公墓所への
案内が建っています。
案内は行く先々にあって、
全く迷うことはありません。
慶喜さんの出身、
一橋徳川家墓所の塀にも
案内が貼られています。
到着。
門扉に配置された葵の御紋に
テンション上がりますね!
柵外から参拝。
神道式のお墓とは聞いていましたが、
亀の甲羅?みたいな形には、
ちょっとびっくりです!
新しもの好きだったという慶喜さんなので、
こんな独創的なデザインに
したのかも知れません。
左側が慶喜さん、
右側が正室、美賀子さんの墓。
手前は慶喜さんの顕彰碑で、
以下のようなことが
書かれています。
「徳川慶喜公は水戸藩主徳川斉昭卿の七子。
慶応二年、征夷大将軍となるも
世界の大勢を洞察し大政を朝廷に奉還し、
以って日本近代国家発展の端緒を開かれた。
これは慶喜公の叡智英断のなす所であり
この功績は、
萬世を照らすというべきである。」
一橋徳川家墓所
次に慶喜さんのお墓のお隣というか、
すぐ前にある一橋徳川家墓所へ。
さすがは徳川家のお墓、
墓域は石垣で囲まれ、
規模が違います。
墓前に到着。
扉の前から参拝。
ズームで墓石を撮るも
どなたのものかは判明できず。
不明の墓
一橋家墓所から少し行くと、
大燈籠が配置された
立派なお墓を発見。
葵の御紋が見えるので、
徳川か松平関係のお墓と推定するも
それ以上のことは不明のまま・・
これも何かのご縁と参拝。
この後は渋沢栄一墓所を目指します。