富岡城(熊本県苓北町)中編

 

111km

111Kmとは、

熊本駅から富岡城までの道のりです。

往復だと222Km、

全てが一般道ですから

移動するだけでも

約6時間近くが必要となりますが、

これほどの時間をかけても

有り余る満足感と

気持ちよさを得られたのが、富岡城です。

石垣、櫓、土塀などの復元や、

ビジターセンター、櫓内の展示、

城から見える絶景、

職員さんのおもてなしなど、

富岡城はハード面、ソフト面に於いて

大いに充実しているのがその理由で、

限られた時間内での散策は、

物足りないくらいの僕でした。

(妻はお腹いっぱいだったかな?笑)

二の丸虎口

富岡稲荷神社の裏口から

二の丸方面へ行くと、

巨大な桝形虎口に遭遇します。

櫓門があったのかどうかは

わかりませんが、

見応えある櫓台と石段です。

よくぞここまで復元したものです。

桝形虎口の真っ只中。

僕が攻め手であれば、

四方から撃ちまくられ、

既に討ち死にしていますね(笑)

少し上から撮影。

斜めから。

左上の多門櫓風建物は、

歴史資料館です。

二の丸を背後にして撮影。

桝形虎口に海と島のコントラスト、

素晴らしい景色にうっとり・・・。

本丸虎口

最上部の本丸へ。

ここから本丸へ。

小ぶりな虎口。

ここから見えている下櫓の手前に

小さな曲輪があります。

曲輪というより、

見張り台でしょうか(笑)

先に進むと・・・

いや~素晴らしい!

絶景ですよ!

手前には桝形虎口、

その向こうには、巴湾の砂州、

左側奥には島原半島も見えて、

なんとも贅沢な景色じゃないですか。

桝形虎口を外して撮影。

のどかだ~(笑)

下櫓

次に下櫓へ。

ここは自由に入れます。

鈴木重成

内部は展示場になっていて、

メインは地元のヒーロー、

鈴木重成さんの紹介です。

「天草の恩人」として、

二の丸に銅像が立っていますが、

ここでは、より詳しく案内されています。

徳川家康と同じ、三河の生まれ。

徳川将軍家に重用される。

天草・島原の乱。

原城攻撃で、鉄砲奉行だったのが

鈴木重成で、戦後、代官として天草入り。

重成の天草の復興。

1.人口が半減した天草への移住誘致、

2.住職による心の復興

3.公共投資による寺社復興。

これが三本柱だったようです。

「石高半減、死の訴え」

案内を要約、加筆すると、

「天草・島原の乱の根本原因が、

実態に見合わない、

4万2千石の石高にあった事で、

重税で疲弊して住民たちが、

窮鼠猫噛状態となった事を重視し、

これをを半減ようと

幕府に掛け合ったが、

重成は死去、

それを継いだ甥の重辰公の時、

万治二年(1659)ついに

石高は2万1千石に半減。」

このようになります。

死の原因は切腹説もありますが、

病死説の方が有力かも・・・。

結果、鈴木重成さんは神様に。

天草の各地には

鈴木神社(鈴木様)が33ヶ所。

未確認の1ヶ所を除いた、

32ヶ所の写真。

勝海舟

富岡に勝海舟が来た時のこを紹介。

お寺の柱に落書きした勝海舟、

ただの練習生だったとき、

「日本海軍指揮官」と

書いているのは、

やはり志の大きさでしょう。

天草最南端の牛深まで行ってます。

落書きしている勝海舟(笑)

意外と、いたずらっ子だったのか?

このあとは本丸へ。

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください