綱分(つなわき)八幡宮(福岡県飯塚市)

 

神功皇后の足跡

福岡県の神社には

神功皇后が立ち寄った、

祭祀をした、赤ちゃんを産んだ、

戦勝祈願をした、軍隊を解散した、

木を植えた、腰掛けた…

などなどありとあらゆる伝説があります。

そして「八幡宮」と名の付く

神功皇后を御祭神とする神社には、

その伝説が特に多いようです。

その一つが今回参拝した

綱分八幡宮です。

綱分八幡宮へ

白山神社から車で3分、

カップラーメンが

食べごろになる位の場所に

綱分八幡宮は鎮座しています。

神社の鳥居の前に大きな広場があり、

道路に向かって立てられている看板が

目に飛び込んできました。

福岡県指定無形文化財の

神幸行事が隔年にあるそうです。

その裏側を見るとその行事の内容が

書かれていました。

725年創建です。

看板には書かれていませんが、

ネット調べによると、

ここ「綱分」の地名は、

神功皇后が安産のおまじないとして

産綱(うみづな)を分けて

お祀りしたその土地を

綱分と呼び、綱分八幡宮となったそうです。

実際に神社の住所は「飯塚市綱分」ですから

約1800年も前からここは

綱分だったのかも知れません。

相変わらずの神功皇后がらみ、

この膨大な神功皇后伝説(史実)を

辿るだけでも一生かかりますよ(汗)

 

昔ながらの定番入口。

少し階段を登ると社叢が見えて来ます。

社叢って「しゃそう」って読むこと

このごろ知りました…

ずっと「しゃぎょう」と思ってました(笑)

入口の狭さからすると想像もつかない

大きな広場になっています。

後で調べると、ここ綱分八幡宮の

境内敷地は、約4千坪もある

広大なものでした。

その広場からさらに階段を上ります。

あと一息(笑)

御社殿のある敷地は

さほど広くはなく、

こじんまりした境内になっています。

拝殿。

御社殿の彫刻はかなり凝ったもの。

参拝。

ここでこの神社の神功皇后に

まつわる話しをもう一つ。

皇后はここに三振りの宝剣を埋めたとされ

それが奈良時代に見つかって、

大正時代になり学者が認定したそうです。

その宝剣は紛失したそうですが、

なかなか凄い話しですね。

しかし保管してた人、ダメじゃん(笑)

左が拝殿。右奥が本殿。

本殿アップ。

銅板葺きの屋根。

遥拝所。

植えられている木に

何か意味があるのかも知れません。

本殿の右横に鎮座する境内社、

貴船社と若宮。

こちらは本殿向かって左手。

須賀神社と天満宮。

神額。

須賀宮。

須賀宮の蟇股(かえるまた)

天満宮。

天満宮の蟇股には

天満宮の神紋である梅の彫刻が

施されています。

そして、境内社への参拝が終ったころ

この日初めての青空が出ていました!

神様が歓迎してくれたのか…な?

とも思いましたが、

神様は雨を降らせて、

嬉し涙で歓迎するとも

聞いた事があるし…

いったいどっちが正しいの?(笑)

本社の境内で参拝を終えた僕たちは、

広場に向かって階段をおります。

広場の奥にある忠霊等にもご挨拶して、

これで、綱分八幡宮の参拝は完了です。

今日の発見

境内の端っこにあった

盆栽のような松の木。

鉢に植えていないのに、

盆栽に見えるのは、何故でしょう(笑)

 

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