トルコ軍艦遭難慰霊碑(2019年夏旅)

 

始まりは悲劇から・・・

現在、日本にはトルコとの友好団体が、

数多くあり、両国の関係は、

親密だと言えます。

しかし、

やはり明治23年(1890年の

トルコ軍艦、エルトゥールル号の

串本町での遭難無くしては、

こんな親しい関係にはなれなかったでしょう。

亡くなられたり、傷つかれたりされた

ご本人やご家族の気持ちを思うと、

言葉にはなりませんが、

その方々のお陰で今の日本とトルコの

素晴らしい友好関係があるという思いを

持ち続けて行きたいものですね。

慰霊碑へ

トルコ記念館から樫野灯台に向け

数分歩くと右手に高くて、立派な

慰霊碑は見えて来ます。

青空と緑の芝生が眩しい。

慰霊碑正面。

慰霊碑は、エルトゥールル号が遭難した

「船甲羅岩礁」のすぐ前の崖上にあります。

(右端が慰霊碑)

綺麗に手入れされた敷地に

そびえる慰霊塔。

案内板にはこう書いてあります。

「遭難で亡くなった方々をこの付近に埋葬し

翌年、和歌山県知事をはじめ、

有志の義金により

墓碑と、慰霊碑が建立され、

併せて追悼祭が行われました。

この碑は昭和4年の昭和天皇の

樫野崎行幸を聞いた

トルコ共和国

ムスタファ・ケマル・アタテュルク

初代大統領が新たに

慰霊碑を建立することを決定、

トルコ共和国の資金により

昭和12年12月3日(1937年)に

完成したものです。」

最初の慰霊碑を建てた日本人も

偉いと思いますが、

遠い極東の日本で亡くなった

兵士達に対しこんな立派な慰霊碑の

建立を決めた

トルコ大統領も凄いと思います。

昭和12年建立当初からの門でしょう。

当時は「エルトクルル号」と

読まれていたようです。

対になった反対側の門には

トルコ語で書かれています。

なんと追悼歌までがあります!

明治24年に日本人が建てた

慰霊碑のようです。

こちらは慰霊碑建立のために

寄付した方々のお名前でしょうか。

昭和4年、天皇行幸の年に

建てられた弔魂碑。

そして、慰霊碑へ向かいます。

慰霊碑の中央部分には、

トルコ国旗と日の丸・・・

ではなく旭日旗が埋め込まれています。

正面から右回りに歩いてみると

その面々に文字が書かれています。

「生キテ築ケル日土親善ヲ

雄々シク死シテ永劫トナセル

名誉アル殉難者ノ為二

茲二コノ記念碑を建ツ」

この一文、心を打たれます・・・

この面はトルコ語です。

そして、この面もトルコ語ですから

何となくしか意味はわかりません。

今日の想い

教科書には載っていない、

(あえて載せない?)

こんなお話は、

恐らく沢山あるのでしょう・・・

そして、その一つである

エルトゥールル号の遭難の史実。

その史実を伝えてくれる

トルコ軍艦遭難慰霊碑は、

日本人の親切さや誠実さを

子孫に伝えるための施設としての

場所でもあると感じました。

 

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