2019/08/29

アタテュルク騎馬像(2019年夏旅)

 

トルコ建国の偉人

アタテュルクの正式な名前は、

「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」。

長いので本人に断りもなく

アタテュルクとしています(笑)

この方はオスマン帝国を廃して、

トルコ共和国を作り国の近代化を

成し遂げた方で、

アタテュルクとは「父なるトルコ人」

という意味で、

これは議会から与えられた名前だと

Wikipediaには書いてあります。

そんなトルコの偉人である

アタテュルクの騎馬像が、

ここ串本町にあるというだけでも

串本町とトルコの絆は、

深いものと言えるでしょう。

アタテュルク騎馬像へ

トルコ軍艦遭難慰霊碑から

岬の先端へ向かうと

道案内が見えてきます。

本来ならアタテュルク騎馬像も

案内されるはずですが、

ここにはありません。

案内が無くても

ここから岬方面を眺めると

すぐ左側、樫野崎灯台の手前に

アタテュルク騎馬像は

見えていますので、

あまり迷う人はいなさそうですね。

アタテュルク騎馬像、正面から。

案内板。

2010年にトルコ共和国大使館より

串本町に寄贈されたと説明があります。

しかし、実はこの騎馬像、

ここに落ち着くまでには

苦難の旅がありましたがそれは

ここには書かれていません・・・

元々この像は、

とあるテーマパークが、

トルコ政府から寄贈を受けたものの

テーマパークは不採算で閉園、

そして、像は台座から外され数年間、

横たわったまま放置されていたのです。

国の英雄であるアタテュルクの像は、

トルコの誇りでもありますから、

そんな大切なものを放置されるのは、

やはり大きな問題だったのでしょう。

その後、トルコ大使館の尽力もあり

トルコとは縁の深い串本町に

落ち着いたというわけです。

また、銅像ではありませんが、

僕たちがこの正月訪問した

長崎県諫早市にある眼鏡橋の

「ミニチュア眼鏡橋」も同じような経緯で、

一定期間放置され、荒れ放題だったのが、

現在の場所に移転されています。

どちらもテーマパークの運営失敗が原因で、

ただ、その失敗のお蔭で、

一番ふさわしい場所に落ち着く事が出来た、

幸運の建造物とも言えるでしょう。

「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」

こんな格言、間違いないかもですよ(笑)

アタテュルク、凛々しいですね!

反対側からも撮影。

樫野崎灯台から見た

アタテュルク像(右端奥)とその周辺。

エルトゥールル号が遭難した

海に向かって、見守るかのように

建っているのがわかります。

そして、騎馬像の正面に

正対して建っているのが、こちらの碑です。

まるで参道のような石畳。

ここは昭和天皇が昭和4年に

行幸された時の野点所跡です。

野点(のだて)とは野外でたてる

茶の湯の事で、この場所で天皇陛下は

お茶を楽しまれたのでしょう。

そして、昭和4年の行幸と言えば、

アタチュルクがその天皇行幸の報を聞いて、

慰霊碑を建てる事を決めた経緯もあり

アタチュルク像設置者には、

なんだか、その史実が頭にあったような

気がしてなりません。

「天皇陛下、あなたのお祖父様が、

わがトルコ軍人を手厚くもてなし、

またあなたが、ここで亡くなったトルコ軍人の

慰霊の為わざわざここまで行幸された事

深謝します・・・」

なんて

時を超えて言っているような・・・

妄想が過ぎますかね?(笑)

しかし、

日本とトルコの友好は、

ここに居るだけで、

ビシバシ伝わってきます。

 

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