上杉神社(米沢城)御社殿
伊東忠太博士
現在の米沢城の主要部分は、
上杉謙信公を祭る上杉神社となっています。
広〜いお城の一角に
神社がポツンと鎮座するのではなく、
神社が中心となり、
城域を守っている形は、
少し珍しいかも知れません。
「上杉神社 ご参拝のしおり」(表面)
この地図でもお城全体が
神社で表現されていますね。
内面。
由緒記には、
御祭神の上杉謙信公を
仏式を持って鎮祭した事や、
その後の明治の神仏分離で
神祭に改めた事などと共に、
大正八年の米沢市大火で焼失した社殿が、
大正十二年、地元米沢市出身の
伊東忠太博士によって
再建された歴史が記されています。
伊東忠太博士の手がけた神社仏閣は多く、
僕たちが過去に参拝しただけでも
米沢のご近所、亀岡文殊はじめ、
そして、
甲府市の武田神社などがあります。
上杉謙信の好敵手、武田信玄が、
米沢市出身の設計者が造った本殿に
鎮座しているのは、
ちょっと面白いですよね。
但し、謙信の養子で
米沢藩初代藩主、上杉景勝の正室は、
武田信玄の実娘、菊姫ですから
それもアリなんでしょう(笑)
手水舎
元は大手道だった参道を奥へ。
一の鳥居。
この時、右手前の建物で、
直江兼続公を発見!
こんなに巨人だったんだ〜兼続さん(笑)
中へ。
「上杉謙信公家訓十六ヶ条」。
色々あって覚えるのは大変(笑)
立派な手水舎。
伊東忠太博士の手掛けた神社は、
ここと同じく、
大体が十二本柱の豪華版です。
手水鉢はシンプル・・・
と思いきや
水口が凄いことに!
一瞬、ライオンの口からお湯が出る
昔の銭湯を思い出しました(笑)
柄杓での手水、
何故かホットします。
水口の柱の上部は、
令和三年の修復で、
水口の主旨も刻まれています。
「虎は古来より山獣の君といわれている。
戦国時代の英傑謙信公は
常に義を重んじられた。
ここに公の清浄なご精神を
広く伝えるため虎口の水口を製作した。」
あちゃ〜
ライオンじゃなく、虎だったんだ〜(汗)
そう言えば、
謙信公は寅年生まれ、
幼名も「虎千代」ですから
ライオンじゃ〜可笑しいですね(笑)
御社殿
虎さんの口から出る清水で禊も完了し、
気持ちよく参拝へと向かいます。
二の鳥居。
ここで気になるのは松の木です。
なんか「イ」の形の枝ぶりなんです・・
こちらも・・
そして、こちらもです。
主幹が折れた訳でもなく、
ある場所から頭を垂れているのは、
何故なんでしょう・・
雪の重さが関係してるかも・・?
神門前の狛犬は、「東大寺形」。
勝手に付けた名前ですが、
東大寺南大門の裏側に建つ、
日本最古の石造狛犬に
よく似ているんです。
吽形。
神門。
拝殿にて参拝。
拝殿、幣殿、本殿。
本殿右横の倉庫的建物。
本殿に参拝。
拝殿横で見つけた妻好みの
「枯れそうで枯れない」木。
早速ツーショットを撮影。
さらに、どアップで。
これだけ喜んで貰えたら、
木も長生き間違い無しですね(笑)
拝殿バックでツーショット完了。
神門から境内社へと向かいます。
(続く)