宇賀貴船神社(福岡県吉富町)
宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)一族終焉の地
宇都宮鎮房は領地である城井(きい)鎮房の
名前でも知られていますが、
ここでは「宇都宮」で書きます。
宇都宮と聞いて連想するのは
栃木県の県庁所在地である宇都宮。
宇都宮と言えば餃子の町(笑)
そんな餃子の町出身なのが
宇都宮鎮房の祖先なのです。
もちろん昔は
餃子は無かったでしょうが(笑)
宇都宮鎮房は、豊前のこの地に
よほど愛着があったらしく
服従した豊臣秀吉から伊予国
(今の愛媛県あたり)への
転封を拒否しています。
それをきっかけとして、
秀吉の怒りを買い
その配下の黒田官兵衛に攻められ、
一時は勝利したものの
最終的には降伏に近い和睦を結び
官兵衛の息子、黒田長政により
中津城に呼び出されたときに謀殺され、
近くの寺で待機していた家臣tちも皆殺し、
そして、その娘や侍女たち13人も
磔にされ殺され滅びてしまいました。
その娘や侍女たち13人を
弔うためにたてられたのが
「宇賀神社」(合祀前の名前)です。
宇賀貴船神社へ
山国川を挟んで東側が大分県中津市、
西側が福岡県築上郡吉富町。
今でこそ別の県となっている二つの町も
江戸時代までは同じ「豊前国」でした。
先日書いた八幡鶴市神社から山国川沿いに
車で10分ほど下流に走り、
福岡県側に橋を渡ると、
宇賀貴船神社
(うがきふねじんじゃ)があります。
川の向こう真ん中あたりに
中津城の天守閣が見えていて、
神社の位置する場所がいかに
中津城に近かがわかります。
かつて、ここから中津側までは、
渡し船があり、
殿様が参勤交代の時はここを通って、
宇賀神社(今は、合祀されて宇賀貴船神社)
に参拝していたそうです。
神社の前にはわかりやすい案内があります。
こじんまりとしたお社(やしろ)です
「軍師 黒田官兵衛 最大の宿敵
宇都宮鎮房」の幟(のぼり)
宇都宮鎮房の地元では、
やはりこんな位置づけになりますよね。
僕もこれでいいと思います!
この地で非業の死を遂げた
宇都宮鎮房の娘の霊を弔う
石祠の言われが書いてあります。
石祠
小さな祠ですが、
地元の人々がとても大切にしているのが
伝わって来ました。
合掌
そして、もう一つの鎮魂碑がこちら。
「醍醐一字一石塔」
文化9(1812)年といいますから
宇都宮鎮房が謀殺されてから
200年以上も経っている時期に
中津藩主奥平昌高公により建立された
追善供養の塔で、
神社の塀の向こうにあるのですが、
こちら向きに建っています。
やはりだまし討ち的に
一族を滅ぼされた宇都宮一族への思いは
200年経っても消えなかったのでしょう。
本殿。
戦国の世の中だったとは言え
非業とも言える死を遂げた人々に思いを馳せ
安らかにお眠りくださいと伝えて参拝。
定番のツーショットで参拝は完了。
今日の癒し
神社と駐車場の通路
格子戸(こうしど)というのでしょうか、
何とも風情のある扉に癒されました!